2004-10-14 23:28:46linyin

【作業】第13課-前進奧林匹克的商業化

13課 すすむオリンピックの商業化
第13課 前進奧林匹克的商業化

コカ・コーラ、リーボック、ヒルトン・ホテルズ、マクドナルド、ボシュロム、これらからあなたは、一体何を想像するだろうか。
可口可樂、Reebok、希爾頓飯店、麥當勞、博士倫,從這些你到底可以想像到什麼呢?

飲料水のコーラを飲み、リーボックの靴をはき、世界のホテル・チェーン、ヒルトンに泊まり、マックのハンバーガーを食べる。
喝飲料的可樂、穿Reebok的鞋子、住世界連鎖飯店的希爾頓、吃麥當勞的漢堡。

ボシュロムとは、あのかっこいいレイバンのサングラスを作り、多くの若者が使っているコンタクト・レンズの会社である。
和博士倫製作那帥氣的雷朋太陽眼鏡,為多數年輕人使用的隱形眼鏡的公司。

日頃、わたしたちの多くが愛用しているこれらの商品のメーカーが、あのオリンピックのスポンサー企業である。
平日,我們很多愛用的這些商品製造商,也是奧林匹克的贊助廠商。

まるでオリンピックはビジネスの世界へと変貌したかのようである。
簡直是像奧林匹克變往像商業的世界一樣。

IOC(国際オリンピック委員会)は、このほかにも多くの国際企業と契約を結び、その収入は1992年のバルセロナでは、約150万ドルに達した。
IOC(國際奧林匹克委員會)也和其他多數的國際企業簽約,那些收入在1992年的巴賽隆納時,已到達到150萬美金了。


1996年のアトランタ五輪では約400万ドルにもなるといわれている。
據說1996年的亞特蘭大奧運還變成約400萬美金。

またIOCはオリンピックのテレビ放映権を販売し、バルセロナ五輪では、その額は6億ドル(約780億円)にもなった。
而且,IOC還販賣了奧林匹克的電視播映權,在巴塞隆那的運動會,價格也到變到了6億美金(約780億日元)。


IOCが商売上手がどうかは、ともかくとして、これが国や信条や人種を超えたスポーツの祭典の現実の姿である。
是否為IOC的販賣手腕好,不論如何,這就是超越國家或信條或人種等等的運動祭典的現實樣子。


いまや、スポンサーなしには、オリンピックは成り立たなくなっている。
現在已經是沒有贊助廠商,奧林匹克就無法成立了。

オリンピックの商業化は、選手たちをも束縛し、利用し、スポーツとビジネスの世界の区別がつかなくなってしまった。
奧林匹克的商業化也束縛、利用選手們,運動和商業的世界已經變的沒有區別了。

つまり、協賛企業は、商品を効果的に宣伝することによって、大きな利益をあげている。
也就是說,贊助企業根據商品宣傳效果,來給與很大的利益。

しかも世界記録を更新するたびに、契約選手たちにはボーナスが出ることになっている。
而且,變的每次只要一更新世界紀錄,就會給與簽約選手獎金。

こういったオリンピックの商業化は、これからどんな方向へと流れていくのであろうか。
像這樣子的奧林匹克商業化,從現在開始會往什麼樣的方向進行呢?

露骨な商業化は、いずれはファン離れを招くという意見もある。
露骨的商業化,總有一天會招致球迷離開的意見也有。

それだけでなく、金メダルや記録更新へのプレッシャーは薬物使用という弊害を生んでいる。
不只是如此,也產生了為了奪金牌或改寫紀錄的壓力,而使用藥物的弊害。

「フェアプレーの精神と競技を愛する心」は昔語りになりつつあるのかもしれない。
「光明磊落的精神和愛護競技的心」或許正在變成往事了。



昔といえば、はるか昔、古代ギリシャで、神にささぎる宗教行事として祭典競技が行われていた。
說到以前,很遙遠的以前,在古希臘,以作為獻給神的宗教活動的祭典競技被舉行。

この行事は、オリンピア地方でも盛んに行われていたが、やがてこれが国家的な規模へと発展して、古代オリンピア祭となった。
這個活動,在奧林匹亞地方也被盛大舉行,但是不久這個活動就被發展成國家性規模,成了古代奧林匹亞祭典。


この祭典は長い間中断されていたが、紀元前776年に復活し、1000年以上にわたって、紀元393年の293回まで、4年ごとに続けられてきた。
這個祭典雖然曾長時間被中斷,但是紀元前776年復活後,經過1000年以上,到紀元393年的第293次為止,持續了每四年一次。


祭典が行われるときは、古代ギリシャの都市国家も、その時だけは激しい戦いの手を休めたといわれる。
祭典被舉行時,古希臘的都市國家也是,據說只有在那個時候,才會停歇激烈的戰火。

さて、時は流れ19世紀、古代オリンピックに興味を持った一人のフランス人青年が近代オリンピックの復興を夢みていた。
其次,時間流逝到19世紀,有位對古代奧林匹克持有興趣的法國年經人,幻想著奧林匹克的復興。


その名は、ピエール・ド・クーベルタン。
他的名字是皮耶迪古伯汀男爵。

彼はパリのソルボンヌ大学のスポーツ記念式典で、オリンピック復活を提唱したが、それは1896年に、アテネで現実のものとなった。
他在巴黎的索邦神學院(巴黎大學的前身)的運動記念儀式上,提倡了奧林匹克復活,那個在1896年時,在雅典實現了。

近代オリンピック第一回大会である。
是近代奧林匹克的第一次大會。
4年に一度のオリンピックは、二度の世界大戦で三つの大会が中止になったが、現在までスポーツの祭典として続けられている。
四年一次的奧林匹克雖然因為2次的世界大戰而中止了三次大會,但是到現在為止,作為運動祭典被持續著。

本来なら「アマチュアスポーツの祭典」といいたいところだが、クーベルタンによって復興された近代オリンピックは、第二次世界大戦後、大きく変わっていく。
普通是想叫作「業餘運動的祭典」,但是跟據古伯汀男爵而復興的近代奧林匹克,在第二次世界大戰後起了大變化。

大戦後、世界は東西に二分されたが、その結果、東側の諸国による、国家まる抱えで養成された選手たちがオリンピックに参加し、優秀な成績を求めていくようになる。
大戰後,世界被分成東西、那個結果,是因為東邊各國,讓自己國家包辦培養的選手們參加奧林匹克,成了為了尋求優秀的成績。

オリンピックのアマチュアリズムは崩壊し、ついに、IOCは、1973年のオリンピック会議で、「オリンピック憲章」から“アマチュア”の語を消したのである。
奧林匹克的業餘節奏崩壞,終於,IOC在1973年的奧林匹克會議上,從「奧林匹克憲章」將「業餘」的字眼拿掉了。

そして1964年の東京オリンピックから、オリンピックは巨大化の道を歩み始めた。
然後,從1964年東京奧林匹克開始,奧林匹克開始走向巨大化的道路了。

この年のオリンピックから、通信衛星を移用してのテレビの実況放送が実現し、地球の裏側にいても、オリンピックをリアルタイムで見ることができるようになった。
從這年的奧林匹克開始,實現利用通訊衛星的電視實況轉播,在地球的另一邊也變得可以用現場直播看到奧林匹克了。

このテレビの技術革新は、さきにも触れたように、放映権をめぐって、一層オリンピックの巨大化、商業化に拍車をかけ、今日に至ったのである。
這個電視的技術革新,連以前的都可以參與的樣子,環繞著放映權,更加大奧林匹克的巨大化,加速商業化,直到現在。

「商業化」はさらにわたしたちにこんな問題も投げかけている。
「商業化」更加的也將這樣的問題投擲給我們。

それは開催地のもんだである。
那是舉辨地點的問題。

今までオリンピックのほとんどは、ヨーロッパとアメリカ大陸で開催され、アジアで2回、オセアニアでは1回、アフリカ大陸ではまだ一度も開催されていないのである。
到目前為止的奧林匹克,幾乎是在歐洲和美國大陸被舉行,在亞洲兩次、在大洋洲為1次,在非洲大陸則是連一次都還沒舉行過。

オリンピックのシンボル・マークである五輪は、五つの大陸(アジア・アフリカ・南北アメリカ・オセアニア・ヨーロッパ)を表しているが、このままオリンピックの巨大化、商業化が続けば、運営上の問題などから、発展途上国での開催はさらに難しくなるだろう。
奧林匹克的象徵標記的五輪,雖然代表著五個大陸(亞洲、非洲、南北美、大洋洲、歐洲),但是只要保持現狀、奧林匹克的巨大化和商業化持續下去的話,從營運上的問題等來看,五輪的輪要實現是件很困難的事情吧?


開催地に関する限り、五輪の輪が実現するのはいつのことだろう。
只限於關於舉辦地點,要五輪的輪實現是什麼時候的事呢?

神にささげる祭典競技としての「古代オリンピック」、アマチュア・スポーツの祭典としての「近代オリンピック」であったが、さまざまの問題を抱えるオリンピックはどのように変わっていくのだろうか。
作為獻給神的祭典競技的「古代奧林匹克」,是為以業餘運動的祭典的「近代奧林匹克」,但是帶著各式各樣的問題的奧林匹克會漸漸變化成什麼樣子呢?


それでもなお、オリンピック競技が見るものを興奮させ、深い感動のドラマを生み、熱い思い出をわれわれの胸に残してくれることは、変わらないであろう。
即使如此,看奧林匹克競技仍舊會讓人興奮,產生深刻感動的戲劇,帶給我們殘留於心中的熱烈回應的事,是不會改變的吧?


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翻譯日期:04年5月25日

資料來源:日本語中級讀解進階(大新書局)第13課

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