2006-07-07 18:43:30小葵

東京タワ-28

「詩史さんは何をしてた?きのうの、土曜日」
気分を変えるべくワインを啜り、透は訊いた。
「お店にいたわ」
詩史はこたえる。人差指に赤い、大きな指輪をつけている。小さな手の上で、それはなんだか子供じみた美しさを放っている、と、透は考える。
詩史はあまり食べない。メイン料理はいつも一皿だけとって、それを胃に収めるのは透の仕事になっている。
「ね、なにかもっと話して」
詩史が言った。透といるとき、詩史はいつもそう言うのだ。
「あなたはとても感じのいい話し方をするし、とてもいい言葉を使うから」
と。
「いい言葉?」
訊き返すと、詩史は、
「そう。素直な言葉。本物の言葉」
と、言う。
二年前、はじめて二人きりで会ったときにもそう言われた。なにかもっと話して、と。母親のかわりに呼びだされ、うす暗いバ一で酒をのんだ日。
「帰りはタクシ-に乗せてあげるから送って」
そう言われて詩史のマンションまで歩いた。
「手をつないでもいい?私、手をつないでくれない男のひとは嫌いなの」
歩きながら、詩史は携帯電話でタクシ-を呼んだ。マンションに着くとすでにそのタクシ-ガ待っていて、透は、一万丹札と共に後部座席におしこまれたのだった。観音像の飾ってある居間やマホガニ-のテ-ブル、紺と茶色で落ち着いた雰囲気にしつらえられた寝室に足を踏み入れたのは、それから半年もたっ
てからだった。

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