2006-01-24 08:14:28pochi

職業に貴賎なし

職業に貴賎なし という言葉があります。貴賎などというちょっと難しい単語があるので、昔からの言葉のように思いますが、そうでもないようです。福沢諭吉の言葉だと思っている人が多いようですが、諭吉先生は、学問の勧め のなかで、「人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし」と言ってはいますが、職業については、「世の中にむつかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむつかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い心配する仕事はむつかしくして、手足を用いる力役はやすし。故に、医学、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、幾多の奉公人を召使う大百姓などは、身分重くして貴き者というべし。身分重くして貴ければ自ずからその家も富んで、下々の者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本を尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとに由ってその相違も出来たるのみにて、天より定めたる約束にあらず。」と、職業には明らかに上下のランクがあり、ちゃんと勉強すればちゃんとした仕事に就けますよ、という主旨のものです。ですから、たぶんこの 職業に貴賎なし という言葉は、比較的新しい言葉のように思えます。奈良女子大学の調査によると、最近の日本では、急速にこの、職業に貴賎なし という意識が強くなっているようです。これは、福沢諭吉先生の理想とは異なり、穿った見方をすれば、どんな仕事でも差がないのだから、一生懸命勉強してよい仕事?に就くことにはそれほど意味がない、ということでもあります。このバックグランドには、日本は世界でも珍しく職業間の給与格差が小さい、という事実があるのかもしれません。個人的には、諭吉先生のご意見とは異なり、むつかしき仕事 も、やすき仕事 もそれなりに重要で、職業によって貴賎があってはいけないと思います。そういった意識が、和気藹藹とした、あるいはのんびりとした雰囲気を作り上げることになり、みんなが楽しく暮らせるようになるからです。ただ、ちゃんと勉強して、いわゆる むつかしき仕事 に就いた人は、ちゃんと尊敬する。人を騙したり、卑怯なことをしてお金を稼いだりする仕事は、ちゃんと軽蔑する。そういった、ごく単純な意識もやはり忘れてはいけないことのように思います。ちょっと矛盾するようですが。

この問題に対する考え方は、それぞれが育った環境で大きく異なってくるかと思いますが、皆様 いかがでしょうか?

昨日は久々にさくら水産に寄って帰りました。ビールを飲みながら話題に上った話を、ちょっと書いてみました。

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