2008-07-16 18:53:00雪子

婚前必讀書《醫生的翻譯員》

我今年已經讀了62本書
其中隨筆和小說佔多數
這本書算是我今年閱讀的小說中 最好看的書
每一篇文章都很短 但每一篇讓我想很多事情

就遷移、婚姻、性、生產、女人的空間經驗等議題有興趣的朋友
不妨去閱讀

就算妳/你沒有去過印度或美國 以及對那兩個國家的文化很陌生
如果妳/你對上述議題有興趣的話
還是找得到能夠共鳴的句子

我在題目上寫說這本書是「婚前必讀」的
我一直覺得婚姻是一種「斷裂」經驗
至少大部分的女性來說應該是如此吧
(當然其「斷裂」造成的衝擊 每一個人有不同的感受)

但是似乎很少長輩事先警告這點
不讓年輕女性有心理準備

閱讀這本書事先學習婚姻、遷移即將帶給妳什麼
我覺得是不錯的選擇


<參考>
醫生的翻譯員
http://www.books.com.tw/exep/prod/booksfile.php?item=0010142684&
以下是在anobii網站寫的對這本書的初步的感想
還沒有用中文整理

読み始め:

小小書房で彼女の長編小説をちらっと読んだら面白そうだったので、ためしに短編小説を買ってみた。第一話「停電の夜に」を読んだが、とても印象的な話だった。家を出る決意をした既婚女性の様子がとてもよく描けていると思う。

こういう、ある程度年を重ねた人の生活や心の機微を上手く描いている小説を読むのが大好き。

読み終えて:

第一話:
性や出産に関する「痛み」(身体的/精神的なもの両方を含む)を夫と共有できないというのは、とても苦しいことだと思う。そして、その夫が一番肝心なときに「不在」であることを思い知らされたとき、妻がひそかに夫に三行半をたたきつけるために準備を始めるというのは、よく理解できるような気がする。

第二話:
今まで読了した作品の中で、一番好きな作品。ピジャダさんの家族の無事を毎日祈っていた主人公が、彼が帰国し、家族と無事に再会したのを知って、今まで大切にしていた飴を全部捨ててしまう最後の場面がとても印象的だった。

第三話:
アメリカからやってきた、自己中心的で鈍感そうなインド系アメリカ人の夫婦がとても上手く描けていると思う。また、彼ら夫婦がそういう人にもかかわらず、妻に病院での通訳の仕事をほめてもらい、舞い上がってしまうガイドの様子、及びその後、その妻の重大な―でも、実際にはありがちで、陳腐な―秘密を打ち明けられ、げんなりしてしまうガイドの心理の変化の描写がすばらしい。
性や生殖に関する女性の「重大な秘密」は、本人にとってはとても大きな重荷なのだけど、言葉にしてしまうと、どこにでも転がっている、陳腐な、つまらないゴシップになってしまう。しかも、打ち明けられた相手は「自分が侮辱された」と感じてしまう。なんでそうなってしまうのかは、私には良くわからないけれど、当事者がその秘密について言葉にしてしまった後の、気まずさ、聞き手の興味本位の質問、軽蔑のまなざしなどは想像できる。

あともう一つ、外国語について。この主人公は、英語を習得することによって、未来が開けると信じていた。例えば、外交官になって活躍するとか。でも、結局は学校で英語を教えたり、病院で通訳をするにとどまっている。もちろん、この仕事自体が卑賤なのではないのだけれど、彼の周囲の人は、彼の仕事に積極的な意味を見出さず、彼を評価しない。そして、彼自身の自己評価も低いままだ。

私自身もそうだったし、私の中国語教室で知り合った無数の人たちもそうだったけど、「中国語学科を卒業すれば」、「1年留学すれば」、「検定試験に合格すれば」、「ガイド試験にさえ合格すれば」、今と違った輝かしい未来―といっても、せいぜい今より金になる仕事がみつかるということにすぎないけれど―が開けると信じていた。

でも、語学スクールに通っていたときも薄々と感じていたけれど、あれは語学スクールの商業戦略によってばら撒かれた幻想に過ぎない。実際は、外国語がちょっとできたくらいでは、未来なんて開けないのだ。みんな、語学学校に食い物にされていたに過ぎない。

といっても、外国語習得に自分の未来を託す人々の気持ちも良くわかる。同じように外国語習得に未来を託したことがあり、そして、努力の結果、やっぱり泣かず飛ばずの現状を甘受している私は、この話の主人公のむなしさがよく分かるような気がするのだ。


第四話:
この話も面白い。余韻のある作品。 でも、その良さをうまく言葉にできない。少し時間が必要。

第五話「セクシー」:
結婚していようとしていまいと、特定の人と確かな、親密な関係が確立できない状態が長く続けば、たとえ仕事や付き合いで忙しくしていても、どこか自分を肯定できない部分がのこる。そんなときに、誰かに―たとえそれがこれでもか、というほどたいした相手でなくとも―「セクシーだね」と囁かれるとき、救われたような、自分の一番根源的な部分を受け入れてもらえたような気持ちになる。そして、その相手を好きになってしまうというよりは、「認めてもらった」という感覚にすがりついてしまうのだ。・・・でも、時がたつと、自らに「セクシーだね」と囁いた相手は、実はちっとも自分のことを理解してなくて、また、より理解するつもりもなくて、ただその言葉が女性を口説くときに「効果がある」とうことを知っていて使っているに過ぎないということを思い知らされるのだ。
人は心が弱くなっているとき、いつもの自分なら恥ずかしくて口にすることのできない陳腐な言葉を、自信満々で言ってのける人に魅かれてしまうのかもしれない。
そして、最終的には、そのただ単におつむと語彙の足りないだけの男を憎み、その男を全力で擁護する女(男の配偶者や婚約者)を軽蔑し、そして自分の弱さを嫌というほど思い知らされ、叩きのめされるのだ。


第六話:
夫に連れ添って異国の大学の宿舎に住むことになった妻の話。もともとは、歩いて移動できる範囲に、新鮮な魚をいつでも入手できる市場があり、父母や親戚が住んでいた。今は、魚一匹手に入れるためにも、夫のオフィスに電話して、お願いして車を出してもらわなくてはならない。夫に頼りたくないがために、バスでの移動を試みるが、バスの運転手に「臭う」と指摘されてしまう。その後彼女は自ら車を運転して海辺に向かうが、事故を起こしてしまう。幸い子どもに怪我はなく、事後の処理は夫によって穏便に処理され、話はここで終わる。しかし、彼女の無力感はこの事件によっていっそう増しただろうし、夫の彼女に対する評価も更に下がったことだろう。こうして悪循環は続いていくのだ。

自分の都合で引っ越したわけではなく、夫の都合で見知らぬ場所に引越し、従来と全く異なる生活様式を強いられることによってもたらされる無力感、孤独感はひとしおだ。
もし彼女が、彼女の慣れている土地で、彼女の父母や親戚、友人のネットワークに守られて生活していれば、このような孤独感、無能感とは無縁でいられたかもしれない。

今、私も外国人として一人暮らしをしているが、私もここ数年間、彼女のような孤独感、無能感を嫌というほど味わってきた。ときには、そういう感覚を味わったほうが良いと思うこともあるし、ときには、ほとんどの人がそういうあほうな選択をしないように、そんな自分を傷つける経験などする必要がないと思うこともある。結論はまだ出ていない。

この作品は、家空間と女性、車と女性など、私が日ごろ関心を持っているテーマを扱っていて、非常に興味深かった。

第七話:
このお話は男性が主人公だけど、「ああ、主流の考えに従って、結婚したあと『やられた!』と思う」のは女性だけじゃないのだなということを知らせてくれる。「自分の家」をこれから作り上げていこうとするときに家のあちこちから出現する「自分の家」づくりを阻害するモノたち。そして、それらのモノが存在感を強めていくことを阻止することのできない無力感。こういう感覚って女性特有の経験かと思っていたけれど、実はそうでもないのかもしれない。

第八話:
全く希望が持てない状況にある女性が結婚を望むものの、周囲には全く相手にされない。そして、彼女の世話をしていた親戚が去ったあと、彼女は未婚の母になる。近所の女性は、当初「彼女はいったい誰に『侮辱』されたのか?」と話あうが、彼女が妊娠、出産をへて、病が完治するのを見て、その議論をするのを止める。
常識的には、結婚、出産をのぞむべくもない女性が、これらを望む。そして、その望みは周囲の嘲笑を買う。しかし、彼女が渇望していた妊娠・出産が実現すると、彼女を絶望的な状況に陥れていた病が治癒してしまう。
客観的には妊娠・出産をのぞめない女性が、それによって癒されると信じる気持ち―たとえそれがなんの科学的根拠がなくても―、分かる気がする。

第九話:
これも主人公が男性のお話だけど、なぜかとても共感できる。特に最後の数行。引用する。

太空人-永遠的英雄-只在月球待幾個小時,但是我在這個新世界住了將近三十年。我知道我的成就相當平凡,我不是唯一一個離家碰運氣的人,當然也不是第一個。然而有時候,我行經的每一哩路、我吃過地每一餐、我認識的每一個人、我睡過的每一個房間,都令我迷惑。儘管這一切似乎平凡無奇,然而,有時候,我仍然覺得它們超乎我的想像。(234)

本国人からすると些細なことが、一人でアメリカにやってきた外人にとっては、そのひとつひとつが自分の「なしとげたこと」になっていくっていうところ―例えば、単身アメリカにやってきて最初に借りた家、大家のおばあさんとの対話、大学村の探索、おいしい魚を買える店をみつけること等等―にとても共感した。
彼ら(私もだけど)ような「そこにいること」が当たり前でない人にとって、日々の生活のひとつ一つの出来事が「なしとげたこと」になるのだ。でも、こういう感覚ってなかなか理解してもらえない。現地人に理解してもらうことは難しい。なぜなら、彼らにとっては、私たちのなしとげたひとつひとつの事柄はしごく当たり前の、簡単なことだから。

そして、じゃあ母国で暮らす同胞なら分かってもらえるかって言うと、実はそれも難しい。
日本に帰って、台湾での体験を話すと、「冒険談」に格上げされちゃうか、「自慢話」として排除されるかどっちかだ。同じ台湾で暮らす日本人に話しても、かなり難しいと思う。だって、彼らは「どちらが長く台湾にいるか」「どちらがよりディープに台湾にかかわっているか」という競争をふっかけていると思うか、逆に「自分のほうが台湾のこと分かってる」「自分は台湾でいけてる」と信じている人は、他人の話に耳を傾けないから、多分無理。

だから、こういう自分なりの「成就感」を積み重ねて暮らしている人が他にもいるということを知ったのはとてもうれしかったし、ある意味癒された。

http://www.anobii.com/013838d9e1b7ba02d7/books?searchType=1&itemIdFade=0104b162d93404510d


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