2006-02-19 10:52:56雪子

不想講日語

曾經好幾個台灣朋友問我,為什麼我明明知道對方會說日語但始終不肯用日語說話,除非真的找不到恰當的辭彙。我一直不知道該如何解釋,昨天跟阿潑桑聊天之後再想其理由,目前想到的理由是如下;

我現在渴望有一個賣點,我不希望我的賣點只有「日本人」或「會說日語」,這都不是我靠自己努力爭取的,希望我的朋友並不只是因為我是日本人的關係而做朋友,而是欣賞我的某種特色(如喜歡看同一個作家的書)而做朋友,當然我不管多麼努力做「去日本化」,不可能完全去除我的日本性(最近才覺得也不需要刻意去除),但還是我不想把日本當作我唯一的賣點。我後來想,這是我在台灣不想講日語的原因之一。

還有,我很害怕在台灣認識日本人,當我察覺到對方有「我們都是日本人,妳應該可以了解我說話的意思吧」的想法,我就不行,除非對方跟我很談得來。我也知道說出「我們都是○○吧」的人都沒有惡意,但我覺得如此的想法有時候構成語言暴力,我寧願以異己的身分跟對方談話,不想成為那些語言暴力的受害者或共犯。我想,這也是我在台灣不想講日語的原因。

另外,我很不喜歡在台灣聽到有人跟我用日語說台灣或台灣人的壞話,要跟我用日語說話的人往往誤解我有跟他一樣的感受...我用日語說話的時候變得「很有禮貌」喔,遇到這樣的人,可能一邊微笑者點頭聆聽對方說話,一邊想趕快離開他。
雪子 2006-10-23 23:56:56

最近讀村上春樹『やがて哀しき外国語』の中の「ヒエラルキーの風景」,覺得似乎找到了我在台灣不想跟日本人交流的理由。難得國外獨居,根本不想跟其他日本人比中文程度、學歷、聯考的分數。我沒有時間理會那種在國外還是會在乎原生社會的地位的人。

「せっかく日本を出て外国にいるんだから、少なくともその一年間くらいは日本的なレールからひとまず離れて、ひとりの裸の人間としてみんなと気楽に交わりあえばいいのに、と僕なんかは思うのだけれど、そういう人たちの自我だかアイデンティティーだか世界観だか呼吸器だか消化器だかの中には「共通一次」「・・・・・・省」「・・・・・・課長補佐」というファクターが分離不可能なまでに組み込まれていて、新しく何を取り入れるにせよ、誰と接するにせよ、そういうややこしフィルターをひとまず通過させないことには、致死的なアレルギー反応に襲われるのかもしれない。彼らにとってはこのようなヒエラルキーはあまりにも重要な価値観を持っているので、そんなものとは無関係に生きている人間がこの世界にはけっこう沢山いるのだという事実がうまく理解できなくて、どうもそのあたりのボタンのかけちがいから様々な悲喜劇が生まれるらしい。」(P253)