原文 神無ノ鳥 シーン回想 番外編 【振り仮名付き】 六
神無ノ鳥 シーン回想 番外編
六
神無山―社
(斑鳩)「紗、戻ったぞ」
(紗)「あっ、お帰りなさいませ。斑鳩さま」
紗は先程【さきほど】と同じように【おなじように】、むしろをかぶって横になっていた。
(斑鳩)「…木の実を幾つか【いくつか】摘んできた。これだけでは腹の足しにならぬ【たしにならぬ】かも知れぬが…」
あけび【通称:木通・通草】や山葡萄【やまぶどう】、コクワ【猿梨、サルナシの果実】を紗の枕もと【まくらもと】へと置いてやる。
(紗)「………」
紗は手を伸ばして確かめたが、すぐに引っ込んでしまう。
(斑鳩)「どうした?食わぬのか?」
(紗)「これ、わたしが頂いても【いただいても】良いのでしょか?」
(斑鳩)「当然だ。そなたの為に摘んできたものなのだからな」
(紗)「……斑鳩さまは召し上がらない【めしあがらない】のですか?」
(斑鳩)「私は、要らぬ【いらぬ】。全てそなたが食する【しょくする】がいい」
(紗)「………」
(斑鳩)「もし食わぬ【くわぬ】のならば、捨ててしまうぞ【すててしまうぞ】」
(紗)「あっ…、い、いえ。頂きますっ……」
紗は慌てて【あわてて】山葡萄を一房【ひとふさ】つかみ、口へと運んだ【はこんだ】。
余程腹が減っていた【へっていた】のだろう。物凄い【ものすごい】早さ【はやさ】で果物【くだもの】をたいらげてしまう。
(紗)「ふう……。ご馳走様【ごちそうさま】でした」
一息【ひといき】ついた後、紗はぴょこんと頭【あたま】を下げる【さげる】。
(斑鳩)「腹は膨れた【ふくれた】か?」
(紗)「はい。とても美味しゅうございました」
(斑鳩)「ふっ……」
外見【そとみ・がいけん】の幼さ【おさなさ】に似つかわしくない大人びた【~びる】言動【げんどう】に、斑鳩は思わず吹き出して【ふきだして】しまう。
(紗)「どうしたのです?何を笑ってらしゃるのですか、斑鳩さま」
(斑鳩)「いや、何でもない」
(紗)「…それなら、良いのですけど…」
(斑鳩)「どころで、紗」
(紗)「はい、何でしょう?」
(斑鳩)「そなた、この社に一人で暮らしておるのか?」
(紗)「はい、そうですよ」
(斑鳩)「家族【かぞく】は?」
(紗)「いません。母は、私が幼い頃に亡くなった【なくなった】と聞かされています。父については…知りません」
(斑鳩)「…では、そなたは今までたった一人で生きてきたというのか?」
(紗)「そういう訳ではありませんけど……」
(斑鳩)「ならば、何故こんな場所で一人で暮らしているのか?」
(紗)「………」
斑鳩の問い【とい】に、紗は口を閉ざしたまま答えようとしない。
(斑鳩)「…話したくないという事か」
(紗)「申し訳ありません【もうしわけありません】」
(斑鳩)「詫びる【わびる】必要は無いが、ここに一人でいろと何か不便だろう」
(紗)「平気です」
(斑鳩)「昨夜のように、病に冒され【おかされ】熱を出してもか?」
(紗)「…周り【まわり】に人が居ると居まいと、病に罹る【かかる】ときに罹ります。それに、村に住んでいても、わたしにはお医者様にかかるお金もありませんし…」
(斑鳩)「村の男の所へ行けば、食うに困ることは無かろう」
(紗)「……私は、あの村の人間ではありませんから…」
(斑鳩)「………」
頑な【かたくな】紗の態度に、斑鳩が鼻白む【はなじろむ】。
紗は、外見とは裏腹にかなり強情な【ごうじょうな】娘であるらしい。
にしても『村の人間ではない』というのはどういう意味なのだろう。斑鳩もあの村へ何度となく出かけているが、よそ者を排除する【はいじょする】雰囲気【ふんいき】を感じたことなど無いのだけれど…。
(紗)「それに、この山は母さまの亡くなった場所ですから。村で暮らすよりも、母さまが亡くなったこの場所にいたいんです…」
(斑鳩)「……ふむ、なるほどな」
頷いては【うなずいては】みたものの、斑鳩には紗の言葉を理解する事は出来ない。顔すら覚えていないだろう相手に、何故親愛の情【しんあいのなさけ】を抱く事が出来るのか。
…数え切れない【かぞえきれない】程の人の死を見守ってきたというのに。
斑鳩は横たわった紗の身体にむしろをかけてやった。
(斑鳩)「…では、私はそろそろ行く。養生せいよ【ようじょうせいよ】」
(紗)「あっ…はい……色々と【いろいろと】、有難うございました…」
(斑鳩)「礼には及ばぬ【れいにはおよばぬ】。…では、またな」
斑鳩はそう言って立ち上がり、戸をあけて社を出て行った…。
出處:[すたじおみりす team L←→R] 神無ノ鳥