原文 神無ノ鳥 シーン回想 番外編 【振り仮名付き】 四
原文 神無ノ鳥 シーン回想 番外編
四
その数週間後【すうしゅうかんご】…。
斑鳩は紗の住む社を訪れた【おとずれた】。
とある山―社
村人の噂を聞くに、ここしばらく村へは降りていない【おりてこない】ようだったので、どうしているか気になったのだ。
ぎぎぃっ…と戸【と・こ】を軋ませ【きしませ】、腐りかけた【くさりかけた】木の床【ゆか】を踏みしめて中へ入る【はいる】と…
(紗)「うぐっ…はぁ、はぁ、はぁっ…」
昼【ひる】でも薄暗い【うすぐらい】社の奥から、紗の苦しげな息遣い【いきづかい】が聞こえてくる。
床に横たわり【よこたわり】薄汚れた【うすよごれた】むしろ【蓆】で身体を覆い【おおい】ながら、紗は途切れ途切れに【とぎれとぎれに】呼吸【こきゅう】を繰り返していた【くりかえしていた】。
(斑鳩)「…流行病【はやりやまい】にでも罹ったか」
斑鳩の姿が見える娘だ。
流行病に罹り、そう遠くない内【うち】に命を落とす【いのちをおとす】事は想像に【そうぞうに】難くない【むずかしくない・かたくない】。
(紗)「う…ん、うぅっ……」
熱【ねつ】に苦悶する【くもんする】紗の額に手を当たる【あたる】。
紗の額は、たちの悪い熱病におかされたかのように日照っていた【ひでっていた】。
(紗)「……さま…」
紗は手を差し伸ばし、額に置かされている斑鳩の手の甲に触れた。
(紗)「母…さま……【かあさま】」
顔が異状な【いじょうな】ほど火照らさせながら、苦しそうに継ぐ【つぐ】息に間【あいだ】から呼ぶのは母の名だ。
(斑鳩)「皮肉な【ひにくな】ものだな」
ここにいるのは彼女【かのじょ】が求める【もとめる】母ではなく、彼女の母の命を奪った【うばった】『神無ノ鳥』だ。
勿論【もちろん】、娘は知る由【しるよし】もないだけれど。
(斑鳩)「……?」
ふと不思議な匂いに気付いて【きづいて】、斑鳩は鼻【はな】をひくつかせた。香の香りにしては生々しい、獣の体臭【たいしゅう】に似た匂いだ。
紗の体臭かとも思ったが、それにしてはやけに甘いような気がする。
(斑鳩)「気のせいか…?」
数多の獣が通う山の中だから、獣の体臭がしても仕方無い【しかたない】かも知れない。
しかし、何かが気にかかる。
(斑鳩)「…起きろ、娘…」
紗を揺すり起こそうとして【揺すり起こそうとして】、思い止まった【おもいとまった】。
(斑鳩)「まあいい。…目を覚ましてから【さましてから】話を聞くか…」
斑鳩は腰を下ろし、眠っている紗を見下ろす。
(紗)「はぁ、はぁ、はぁっ…。う…ん……」
途切れ途切れの呼吸を繰り返しながら、紗は寝返りを打つ【ながえりをうつ】。
(紗)「はぁ、はぁ、はぁっ、あっ……」
(斑鳩)「………」
この娘はまだ、死すべき運命にはない。
いくら苦しそうな表情【ひょうじょう】を浮かべていても【うかべていても】、命に関わる病ではないということだ。
ならば、斑鳩がここにいる必要はないのだけれど…
(紗)「…母さま…。母…さま……」
嫌な【いやな】夢でも見ているのだろうか。閉じた瞼【まぶた】から涙【なみだ】がこぼれ落ちるのが見える。
(斑鳩)「お主【おぬし】を置いて死んだ母だというのに……」
いくら慕い求めた【したいもとめた】とて、死んでしまった者が紗に何かしてくれるわけではないのに。
(紗)「母さま……戻ってきて……」
それでも紗は、母を呼び続ける。
(斑鳩)「…分からぬものだな」
誰にともなく呟いた後、斑鳩は眠った【ねむった】ままの紗の手を握った【にぎった】。
(紗)「母…さま…?」
(斑鳩)「どこへも行かぬ【ゆかぬ】。だから、安心して眠れ」
(紗)「……母さま……」
紗は目を閉じたまま、斑鳩の手を握り返す。
掌【てのひら・たなごころ】の温もり【ぬくもり】で安心した【あんしんした】のが、だんだんと紗の呼吸が楽になっていく。
斑鳩は無言【むごん】のまま、紗の手を握っていた…。
出處:[すたじおみりす team L←→R] 神無ノ鳥