(メモ)「料理屋の料理は家庭料理に勝てない」
一般に、私たちプロの料理人の世界は「師匠と弟子」の関係で成り立っていて、師匠からはいろいろな習わしや技術が伝授されます。もちろん、もっともなことがほとんどなのですが、中にはそれがあるために不自由さを感じることもあります。今回はそんなお話をしてみたいと思います。
習わしその1「一つの懐石コースの中で、同じ食材は2度使ってはならない」
妙な話ですが、プロの世界にはレンコンでも里芋でも、コース料理の中で使う場合は1度だけという暗黙の了解があります。里芋で煮っころがしを作れば、それで里芋の料理はおしまい。もしも同じ里芋で2品、3品作れば、それこそ「あいつは野暮だ。懐石が分かっていない」と一笑に付されてしまいます。(もちろん、旬の真っ最中で、価値のある食材、例えば松茸や筍などは2回までは許されるなど、一部例外もありますが……)
家庭料理なら、こんなおかしな話はないでしょう。例えば、大根。最近では2分の1にカットされて売られているものも少なくありませんが、葉つきのものを買ったとします。大根葉はおひたしにしてもいいし、鶏肉や油揚げなどと一緒にごま油でさっと炒めてもいい(1品目)。大根の皮は、むいたら千切りにしてこれできんぴらを作ります。歯ごたえと一緒に皮の旨みが味わえます(2品目)。本体はふろふき大根にしたり、イカ大根にして炊き合わせにしてみたり(3品目)……と、料理上手な方なら、1本の大根でたちまち3種類以上のレシピが思いつくでしょうし、実際に食卓にも大根料理のバリエーションとして出していることでしょう。
しかしながら、これがプロの世界ではタブーとされているのです。
今、食の世界では「全体食」というのが叫ばれています。食材はどこも捨てるところなどない。すべてにエネルギーを宿しているのだから、それをいただいてこそ真のエネルギーになり得るという考えです。丸ごと1本の大根で3種類以上の献立を作るのは、まさに全体食を実践したもの。さらに、これが有機の大根(通常の値段の1.5倍程度。2倍まではしません)であれば、栄養価ももっと高くなるでしょう。
私も全体食には賛成で、それが食の本来のあるべき姿だとつくづく感じています。それからすると、プロの料理人の「一食材で一品」という考え方は全体食とは対極にあるものですし、エネルギーの面でも全体食に劣るものです。しかし、先述した習わしがあるためにその枠を超えられないのが現状なのです。
食事のバランスは長期的に見るもの。一食で精算されるものではない
次に、こんな習わしがあります。
習わしその2「プロのコース料理は、カテゴリーに納まっていなくてはならない」
日本料理の場合、先付け、造り、焼きもの、炊き合わせ、酢の物、汁ものなど、一応カテゴリーがあるのはご存じでしょう。プロはその中のカテゴリーに当てはめて料理を作らねばなりません。お金を頂戴する以上、このカテゴリーは絶対。でないと「ここの料理は偏っているね」と、やはり一笑に付されてしまうのです。
これが家庭料理ならどうでしょうか。料理屋のようにいちいち献立をカテゴリーに分けて、その中に当て込んでいくなどというやり方はしませんね。極端な話、キノコが安く買えた日なら、今晩はキノコご飯とお漬物だけ。うどんしか用意できなかった日は、きつねうどんとご飯だけ。こんな夕食だってあるはずです。ごちそうの日もあれば、そうではない日もある。それが通常の家庭料理の食卓でしょう。
確かに、食事のバランスという点では互いの料理を比べてみた場合、家庭料理よりも料理屋の方がバランスは取れているかもしれません。食事のバランス、栄養のバランス。近年はメタボ予防の見地からも叫ばれていることです。しかし、それはあくまでも一食だけの平均的なバランスの上での話。
私は、料理のバランスというのはもう少し長い目で見てもよいと考えています。今日一日、バランスの取れていない食事をしたからといって、それが即病気につながるものでもないでしょう。それに人間は動物である以上、肉好きな人でも多少は野菜も食べているはず。全く偏った食事をしているのは考えにくい話です(中には極端な方がいらっしゃるかもしれませんが)。
料理や栄養のバランスは1週間とか1か月とか、ある程度のスパンで検証すればよいのであって、何も一日単位で細かく見ていく必要はありません。第一、そんな食事をしていたのでは神経がすり減って、それだけで病気になりそうです。
エネルギーの点でも、これは第2回のところでもお話をしましたが、数値エネルギーと心理エネルギーがあります。前者は単なる食材のエネルギー計算ですが、後者はたとえ数値エネルギーの低い食材をいただいたとしても、おいしく食べたかどうかでエネルギーの値は変わるというものです。
私は、本当に大切なのは心理エネルギーの方だと確信しています。たとえその日がキノコご飯だけでも、マイタケやシメジなどたくさんのキノコとニンジンやゴボウなど野菜も入っていて、皆が喜んでおかわりしてくれるようなご飯だったら、心理エネルギーは計り知れないものがあることでしょう。
習わしに縛られて、一食ごとにちまちましたバランスを考えなければならないプロの料理と、旬の安い食材でどんとその旨みとエネルギーを味わい、多少偏りはあろうとも、長期的なスパンの中でバランスを取っていけばよい大らかな家庭料理。
プロの料理人からすると、プロであるがゆえの窮屈さを感じることはしばしばで、何ものにも縛られない家庭料理の自由さが羨ましい限りなのです。
ご家庭でぜひ。
「秋の味覚を味わいましょう」
今回は全体食の考えに基づいたお料理を2品紹介してみましょう。全体食は、食材を丸ごと使う料理、「捨てない」ことをベースにして、食材すべてからエネルギーをいただく料理のことです。
野菜の筑前煮
通常の野菜の筑前煮です。下処理の段階で一つだけプロの技をお教えすると、コンニャクはまな板の上で一度すりこぎ(手でもよい)でドンドンと裏表をたたいてやります。そうすると、繊維質が柔らかくなって味がしみこみやすくなります。これで一段とこんにゃくがおいしくなります。また、レンコン、ゴボウは煮込む前にボイルしてあくぬきをすると上品な味に仕上がります。
まず、ごま油で鶏肉を炒めて鍋に脂を回し、野菜は固いものから順に入れ、だし、お酒、醤油、みりん、砂糖で味を調えます。煮詰めたら最後は鍋をあおるような感じで、もう一度出た旨みを全体に戻してやります。これで出来上がりです。
野菜の皮のきんぴら
筑前煮に使った野菜の皮を使って作るきんぴらです。使う部位は、ゴボウとレンコンの皮と端っこ。ゴボウは先っぽの細い部分はもちろん、茎に近い頭の部分、通常はカスカスな部分で捨ててしまうところですが、ここも使います。そういう点では野趣あふれるきんぴらでしょう。
でも、いい野菜(特に有機ものなど)は、皮にも養分がたくさん含まれているのです。それをゴシゴシ洗って皮までむいてしまったのでは、もったいない限り。野菜は軽く水洗いして泥を落としただけで十分。普通なら捨ててしまう部分ですが、皮に含まれた栄養満点の繊維質をいただく「全体食」ならではの一品です。
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