2006-10-03 19:30:47小葵

東京タワ-40

詩史とは、先週音楽会にでかけた。詩史の「知り合いの娘さん」は水色のロングドレスを着て、ショパンとシュ一マン、それにリスト谷弾いた。
音楽を聴いているあいだじゅう、透は隣にすわった詩史の存在を、溶けそうな熱さで意識していた。待ち合わせ場所のホ一ルのロ一ビ一で、「似合うわ」とほめられたス一ツ姿で。
コンサ一トのあと、ショット.バ一にいった。賑やかな大通りをならんで歩きながら、透の中ではずっとピアノの音がしていた。曲名さえ知らのに、たったいま聴いた音の一つ一つが、冴え冴えと豊かなかたまりのまま、透の身内でうねっていた。ひどく美しく。
詩史さんといるといつもそうだ。
たとえばイタリア料を食べる。透は頭のてっぺんから足の先まで、イタリア料理でいっぱいになってしまう。髪の毛の一本一本まで。量の問題ではなく浄度の問題だった。
たとえば音楽を聴く。透は身じゅう音楽で満ちてしまい、他のことは何一つ考えられなくなる。
「いい演奏だったわね」
詩史が言い、その瞬間に透は悟るのだ。これはピアニストの力ではなく詩史の力なのだ、と。自分は詩史のなすがままだ、と。
親耕二くんはどうしている?」
父親が訊いた。透の友人で、父親が名前をえているのは二人だけだ。一人は小学生のころにおなじマンションにいた「たっちゃん」で、透自身、父親が憶えている以上のことはもう憶えていない。
「元気ですよ」
母親についてこたえたのとおなじようにこたえた。
「いろんなアルバイトをしてて、それなりにやってる」
「それなりに、か」
父はおもしろそうにくり返すとぐい呑の酒を干し、手酌でまたそれをみたした。
「彼は医学部だっけ?」

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