2010-11-17 21:40:25雪子
心理創傷與寬恕
台湾と出会って10数年、台湾に住むようになってから6年目に入りました。この間、周囲の人から常に「なぜ英語じゃなくて中国語を勉強するのか」(→金に ならないでしょ)「なぜ中国じゃなくて台湾なのか」(→金儲けできないし、政治的にも正しくないでしょ)「なんでフランス語じゃなくて中国語なわ け?」(→かわいい女と思われたかったらやっぱフランス語でしょ。)「東京圏で一番人気のある場所に住んでいるのになんで満足できないの」(→なんてわが ままな女なんだ)……といった疑問を常に投げかけられてきました。周囲の人たちに問われるたびに、私は言葉に詰まるか、「食べ物おいしいし、気候も人も良 いから」など、適当なことを言ってやり過ごしていました。博士課程で空間とジェンダーの勉強を始めて数年たってからやっと、なぜ自他共に認める「中央線 人」だった私が東京から逃げ出したいと思っていたのか、説明できるようになってきました。
勉強、論文執筆の過程で気づいたのは、私にとってトラウマというのは、自分が高い価値を置いている事物や人、求めてやまない事物や人によってはじめてもた らされるということです。これまで思っても見なかった事物や人が、私のトラウマを形成していたのかもしれないと気づいたとき、とても驚きました。
なぜこんなことを書いたかというと、『身体知』で三砂ちづるが、次のようなことを言っているのを読んだからです。
「トラウマは本当だろうが嘘だろうが、思い出したら忘れないといけないし、許さないとダメだと思います。思い出したらそこの自分も認めてあげて、そこで終わりにできるといいんですが。(133)」
うまく言えないのですが、これは『1Q84』を読んだときにも、私は似たようなメッセージを受け取りました。また、ここ2日間で読んだカズオ・イシグロの 本も戦争遂行に積極的に加担した親の世代と実際に戦場に行かされ、心にも体にも大きな傷を背負い、親の世代を憎む子世代の「葛藤-許し」が描かれていま す。
この2冊を同時に読んだのは、偶然に過ぎないのですが、妊娠してから特にさまざまな事柄に対する怒りが消失していくので、「あれ?ホルモンのせいかな」と 思っていました。妊娠をして、体内に新しい命(他者)を抱え、受け入れ、育てる作業をするということは、自分と異なるもの、かつて自分を損なったもの(親 世代だったり、既存の価値観だったり)を受け入れられるよう(許すということ)にさせるのかもしれません。
というわけで、わかりにくい文章になりましたが、妊娠中にこの2冊の本に出会えたことは良かったと思います。