2010-09-12 00:07:33雪子
欣賞彼此之間的差異
私が授業をしているのは市民大学なので、さまざまな年齢、性別、階層の人たちが受講者としてやってきます。学校で長年教員をしている人は(過去の私もそうでしたが)、均質な集団の方が授業がやりやすい、市民大学のようなさまざまな人々の集団は「扱いにくい」と考えがちです。
現在の私は自分自身がマイノリティーであるため、均質な集団は苦手で、さまざまな人が集まって勉強する場でのみリラックスしてすごすことができます。これは、私自身にとっては大きな変化でした。
市民大学は9月から新学期が始まりました。第1回目の講義で、私は、以下の2010年6月17日付の朝日新聞新聞記事の内容を紹介しました。これは、鷲田清一教授の哲学カフェに関する記事です。以下は記事からの引用です。
「・・・・・・哲学を大学の研究室から解放し、さまざまな場所で、一般の方々に身近なテーマをめぐって日常の言葉で対話していただく試みです。始めるにあたって、まず三つの約束事を作った。一つはお互い名前しか明かさない。二つ目は他人の言葉を引用はしない。三つ目は他のメンバーの話は最後まで聞く。これだけでぜんぜん違うんです。演説をぶつ人もウンチクをたれる人もなく、純粋に論理にのっとった話し合いができる。」
「・・・・・・だから結論が見つからなくて一向に構わない。むしろますます分からなくなったくらいの方がいいんです。元来コミュニケーションというのは話せば話すほどおのおのの違いがより細かく見えてくるところに意義があるんですね。だから読書会ではお互いの共通点ではなく、違いを見つけて下さい。そうすることで、「オール・オア・ナッシング」の世界から抜けられる。人間、違いが見えると楽になるんです。」
この記事を読んだとき、おお、これだ!と思いました。私も完全に実施できているわけはありませんが、できるだけこうありたい、他者との差異を楽しみたいし、私の周囲の現地人たちにも私との違いを面白がって欲しいと思っています。
なぜこの話をこのブログに書いたかというと、この発想が、ベビカムや他の妊娠・出産・育児関連の日本語の掲示板を見るようになってから感じていた違和感の理由を解明するかぎになると思ったからです。
掲示板を見ると、「○○の発言・態度にイラっときました(むかつきました)」というようなトピックが度々立てられ、それに対する反応は「それはひどいですね。私でもイライラします。」と同意を示すものや、やや感情的にトピックを立ち上げた人を攻撃するものがあります。長い間、「なぜこのようなネット上の対話は読後感が悪いのだろう」と考えていましたが、昨日授業の準備をしていたときに、はっと思いつきました。
私が思ったのは、積極的に同意してトピ主と一緒にイライラする人も、執拗にトピ主を攻撃する人も、根底にある発想は同じで、ネット上で見ず知らずの人に対し「自分と同じであること」を求め、「差異を認め」たくないということです。見ず知らずの人に対してまで「同じ日本人なんだから、私と同じ常識をもっていて当然」と考えるのは、日本が非常に平和であることの証明にもなるかもしれませんが、別の見方をすれば、ずいぶん暴力的だとも言えます。そこに「他者との差異を楽しむ」発想はありません。
同じようなことは、ベビカム事務局がときどき送信してくるお勧めブログについても感じていました。私は事務局が他の会員のブログを推薦してくると、結構律儀に閲覧していました。でも、正直言って、事務局が、なぜそれらのブログを全会員が見るべきと考えているのか、よく理解できませんでした。断っておきますが、紹介されたブログの内容が良くないというわけではありません。中には面白いものもありました。みなさん個人的な楽しみでブログを書かれているので、他人があれこれ言うべきものではないと思います。私が理解できなかったのは、事務局の選択基準と、それらのブログを紹介することを通して、私たち会員にどのようなメッセージを送りたかったのかということです。
この問題も、「同質性を追求する」という観点から考えれば、ひょっとしたらうまく説明できるかもしれません。事務局側には彼らの会員の一般像のようなものがあって、より多くの会員に「共感」(「あ~私と同じ!」)してもらえるようなブログを選んでいるのかもしれないと思いました。
私は、「共感を求めること」「自分が他者と同質性が高いと確認すること」が悪いことだとは思いません。私自身、妊娠してから、ベビカムの会員になり、ここでブログを開設し、日本語で文章を書くようになったということは、私自身も「日本語の分かる妊婦」の知り合いを心のどこかで求めているということです。
誰にでも、特に自分が比較的弱まっている場合、似た者を探して慰めあったり、支えあったりしたいと思う時期があるのではないかと思います。他者との差異を楽しむのは、精神的、知的、肉体的にも「タフ」じゃないとやっていられませんからね。
今は妊婦で体が思うように動かないし、眠くて眠くてなかなか読書も進まないけれど、これから外国で子どもを育てるのだから、もっともっと「タフ」にならないといけないなと思います。
現在の私は自分自身がマイノリティーであるため、均質な集団は苦手で、さまざまな人が集まって勉強する場でのみリラックスしてすごすことができます。これは、私自身にとっては大きな変化でした。
市民大学は9月から新学期が始まりました。第1回目の講義で、私は、以下の2010年6月17日付の朝日新聞新聞記事の内容を紹介しました。これは、鷲田清一教授の哲学カフェに関する記事です。以下は記事からの引用です。
「・・・・・・哲学を大学の研究室から解放し、さまざまな場所で、一般の方々に身近なテーマをめぐって日常の言葉で対話していただく試みです。始めるにあたって、まず三つの約束事を作った。一つはお互い名前しか明かさない。二つ目は他人の言葉を引用はしない。三つ目は他のメンバーの話は最後まで聞く。これだけでぜんぜん違うんです。演説をぶつ人もウンチクをたれる人もなく、純粋に論理にのっとった話し合いができる。」
「・・・・・・だから結論が見つからなくて一向に構わない。むしろますます分からなくなったくらいの方がいいんです。元来コミュニケーションというのは話せば話すほどおのおのの違いがより細かく見えてくるところに意義があるんですね。だから読書会ではお互いの共通点ではなく、違いを見つけて下さい。そうすることで、「オール・オア・ナッシング」の世界から抜けられる。人間、違いが見えると楽になるんです。」
この記事を読んだとき、おお、これだ!と思いました。私も完全に実施できているわけはありませんが、できるだけこうありたい、他者との差異を楽しみたいし、私の周囲の現地人たちにも私との違いを面白がって欲しいと思っています。
なぜこの話をこのブログに書いたかというと、この発想が、ベビカムや他の妊娠・出産・育児関連の日本語の掲示板を見るようになってから感じていた違和感の理由を解明するかぎになると思ったからです。
掲示板を見ると、「○○の発言・態度にイラっときました(むかつきました)」というようなトピックが度々立てられ、それに対する反応は「それはひどいですね。私でもイライラします。」と同意を示すものや、やや感情的にトピックを立ち上げた人を攻撃するものがあります。長い間、「なぜこのようなネット上の対話は読後感が悪いのだろう」と考えていましたが、昨日授業の準備をしていたときに、はっと思いつきました。
私が思ったのは、積極的に同意してトピ主と一緒にイライラする人も、執拗にトピ主を攻撃する人も、根底にある発想は同じで、ネット上で見ず知らずの人に対し「自分と同じであること」を求め、「差異を認め」たくないということです。見ず知らずの人に対してまで「同じ日本人なんだから、私と同じ常識をもっていて当然」と考えるのは、日本が非常に平和であることの証明にもなるかもしれませんが、別の見方をすれば、ずいぶん暴力的だとも言えます。そこに「他者との差異を楽しむ」発想はありません。
同じようなことは、ベビカム事務局がときどき送信してくるお勧めブログについても感じていました。私は事務局が他の会員のブログを推薦してくると、結構律儀に閲覧していました。でも、正直言って、事務局が、なぜそれらのブログを全会員が見るべきと考えているのか、よく理解できませんでした。断っておきますが、紹介されたブログの内容が良くないというわけではありません。中には面白いものもありました。みなさん個人的な楽しみでブログを書かれているので、他人があれこれ言うべきものではないと思います。私が理解できなかったのは、事務局の選択基準と、それらのブログを紹介することを通して、私たち会員にどのようなメッセージを送りたかったのかということです。
この問題も、「同質性を追求する」という観点から考えれば、ひょっとしたらうまく説明できるかもしれません。事務局側には彼らの会員の一般像のようなものがあって、より多くの会員に「共感」(「あ~私と同じ!」)してもらえるようなブログを選んでいるのかもしれないと思いました。
私は、「共感を求めること」「自分が他者と同質性が高いと確認すること」が悪いことだとは思いません。私自身、妊娠してから、ベビカムの会員になり、ここでブログを開設し、日本語で文章を書くようになったということは、私自身も「日本語の分かる妊婦」の知り合いを心のどこかで求めているということです。
誰にでも、特に自分が比較的弱まっている場合、似た者を探して慰めあったり、支えあったりしたいと思う時期があるのではないかと思います。他者との差異を楽しむのは、精神的、知的、肉体的にも「タフ」じゃないとやっていられませんからね。
今は妊婦で体が思うように動かないし、眠くて眠くてなかなか読書も進まないけれど、これから外国で子どもを育てるのだから、もっともっと「タフ」にならないといけないなと思います。