2010-09-05 15:57:35雪子
「お前、病院行ってこいよ」
日本にいるときは、私が病気知らずだったこともあってか、病院というのは子どもや重病以外、病人が1人で行くものだと思っていました。風邪を引いて近所の
診療所に行く、生理不順で婦人科へ行く、歯医者...大人になってから病院に行ったのは、数えるほどしかありません。幸い家族も健康だったので、長期にわ
たって病院で付き添いをするという経験もありませんでした。そのため、病院というところがあまりにも自分と関係ない場所のため、病院に対して恐怖心があり
ました。
こちらに来て、なりゆきで私の周囲に医療関係者が増えてからは、病院内やその周辺で活動することが増えました。たびたび病院に出入りするようになり、少し ずつ「病院という空間」に対する恐怖感は薄れ、病院に出入りする人々や、空間の配置について、自分なりに観察するようになりました。
台湾の病院に出入りするようになり、また、自らも定期的に産婦人科を訪れるようになって分かったのは、こちらの人にとって病気とは個人の身体に属するもの ではなく、家族の「事件」だということです。それは、その家族の一員が子どもであれ、成人であれ変わりはありません。大学を卒業した成人男性のちょっとし た怪我でも、家族の誰かが病院に付き添います。
私は当初は「大の大人の男がお母さんに付き添ってもらって病院に行くなんて恥ずかしい」と思いました。日本語のBBSでも、「大人の癖に1人で病院に行け ないなんておかしいと思いませんか?」というトピックが立てられているのを目にしたことがありますから、たぶん私の発想はそれほど一般的な日本人からかけ 離れてはいないのではないかと思います。
でも、自分自身が定期的に「妊婦=病人(こちらではそう呼ばれる)」として産婦人科に通うようになってから、日本で身体に異変を感じたときに周囲の人から 「お前、病院行ってこいよ」と言われていたこと、1人で病院に行き、不安になったり嫌な思いをしていた(特に産婦人科)の方がおかしかったのではないかと 思うようになりました。
たしかに、付き添いの人がいると待合室が余計に込み合うなど、合理的でない側面もあるでしょう。日本の産科検診では、過去の流産の有無などが問われるの で、付き添いの人を診察室に入れないという話も聞いたことがあります。それはそれでプライベートに配慮している、ということにもなるのでしょう。時にはそ ういう措置も必要かもしれません。
しかし、すべての産科検診に夫に付き添ってもらって思ったのは、自分と相手の間に知識や身体状況や社会的地位の面で圧倒的な不平等が存在する場合、自分が不利な状況にある場合には、付き添いがいたほうが良いということです。
私のような素人妊婦と医師の間には決定的な不平等があります。医師にとっては、診察室も使用する器具も処置の方法もよく分かっているものです。一方、素人 妊婦の私にとっては、診察室も器具もこれからどのような順序で何が行われるのかも全くわかりません。このような圧倒的な不利な状況で、医師や看護士の要求 にすばやく答えられなかったからといって怒鳴られる(日本の産婦人科で経験しました)というのは、とても嫌な経験です。台湾の検診のように、夫や家族がそ ばにいれば、医師や看護士の態度もそれほど横柄にはならないと思うのです。
システムの整備や、医療関係者個人の人柄を頼みにするよりも、「何かあったときのために頭数をそろえて出向く」という、台湾式の、ちょっと原始的なやり方の方が、確実に不愉快な思いをする回数を減少させてくれるのです。
というわけで、今後私の家族や友人が病院に行くときは、私でも役に立つなら時間を割いて付き添いたいと思っています。
でも、こういう感覚は、日本にいる父母にはよく分からないようです。たまに帰国したとき、「病院に行くなら私もついていくよ」と言っても断られてしまいます。もっとも、よく知っている病院で、定期的に行う検診を受けるだけだから、というのもあったのでしょうが。
台湾にいると、役所に行くにも病院に行くにもある程度「戦闘態勢」で出かけなければならないのですが、日本ではあまりそういうことを考えずに済むのかもし れませんね。その割には、役所の窓口でちょっとしたことでぶちきれて大声で怒鳴っているおじさんを見かけたり、産婦人科で嫌な思いをしている女性など多い ようよな気がするのですが...。日本では逆に、「役所や病院や商店のスタッフは、自分に対して礼儀正しく親切にしてくれるはずだ」という思い込みがある のではないかと思います。台湾に住んでいる者からすれば、知り合いでもないし、絶大な権力を持っているわけでもない人が1人でふらりと出かけていって、礼 儀正しく親切にされるはずだと思っているほうがおかしいということになりますけどね。
台湾と日本では、他者に対するスタンス、家族に対する要求が根本的に異なると、最近つくづく感じています。どちらが良いとか、進歩的であるということをこ こで論じるつもりはありませんし、論じても意味がないと思います。ただ、そういう社会の成り立ち方の違いをきちんと理解して、うまく対応できるようになり たいと思います。
そして、いつも思うのは、日本的な発想は、他の国では全く通用しないということです。普遍性という点では、台湾式の方が高い普遍性を有していると思います。
こちらに来て、なりゆきで私の周囲に医療関係者が増えてからは、病院内やその周辺で活動することが増えました。たびたび病院に出入りするようになり、少し ずつ「病院という空間」に対する恐怖感は薄れ、病院に出入りする人々や、空間の配置について、自分なりに観察するようになりました。
台湾の病院に出入りするようになり、また、自らも定期的に産婦人科を訪れるようになって分かったのは、こちらの人にとって病気とは個人の身体に属するもの ではなく、家族の「事件」だということです。それは、その家族の一員が子どもであれ、成人であれ変わりはありません。大学を卒業した成人男性のちょっとし た怪我でも、家族の誰かが病院に付き添います。
私は当初は「大の大人の男がお母さんに付き添ってもらって病院に行くなんて恥ずかしい」と思いました。日本語のBBSでも、「大人の癖に1人で病院に行け ないなんておかしいと思いませんか?」というトピックが立てられているのを目にしたことがありますから、たぶん私の発想はそれほど一般的な日本人からかけ 離れてはいないのではないかと思います。
でも、自分自身が定期的に「妊婦=病人(こちらではそう呼ばれる)」として産婦人科に通うようになってから、日本で身体に異変を感じたときに周囲の人から 「お前、病院行ってこいよ」と言われていたこと、1人で病院に行き、不安になったり嫌な思いをしていた(特に産婦人科)の方がおかしかったのではないかと 思うようになりました。
たしかに、付き添いの人がいると待合室が余計に込み合うなど、合理的でない側面もあるでしょう。日本の産科検診では、過去の流産の有無などが問われるの で、付き添いの人を診察室に入れないという話も聞いたことがあります。それはそれでプライベートに配慮している、ということにもなるのでしょう。時にはそ ういう措置も必要かもしれません。
しかし、すべての産科検診に夫に付き添ってもらって思ったのは、自分と相手の間に知識や身体状況や社会的地位の面で圧倒的な不平等が存在する場合、自分が不利な状況にある場合には、付き添いがいたほうが良いということです。
私のような素人妊婦と医師の間には決定的な不平等があります。医師にとっては、診察室も使用する器具も処置の方法もよく分かっているものです。一方、素人 妊婦の私にとっては、診察室も器具もこれからどのような順序で何が行われるのかも全くわかりません。このような圧倒的な不利な状況で、医師や看護士の要求 にすばやく答えられなかったからといって怒鳴られる(日本の産婦人科で経験しました)というのは、とても嫌な経験です。台湾の検診のように、夫や家族がそ ばにいれば、医師や看護士の態度もそれほど横柄にはならないと思うのです。
システムの整備や、医療関係者個人の人柄を頼みにするよりも、「何かあったときのために頭数をそろえて出向く」という、台湾式の、ちょっと原始的なやり方の方が、確実に不愉快な思いをする回数を減少させてくれるのです。
というわけで、今後私の家族や友人が病院に行くときは、私でも役に立つなら時間を割いて付き添いたいと思っています。
でも、こういう感覚は、日本にいる父母にはよく分からないようです。たまに帰国したとき、「病院に行くなら私もついていくよ」と言っても断られてしまいます。もっとも、よく知っている病院で、定期的に行う検診を受けるだけだから、というのもあったのでしょうが。
台湾にいると、役所に行くにも病院に行くにもある程度「戦闘態勢」で出かけなければならないのですが、日本ではあまりそういうことを考えずに済むのかもし れませんね。その割には、役所の窓口でちょっとしたことでぶちきれて大声で怒鳴っているおじさんを見かけたり、産婦人科で嫌な思いをしている女性など多い ようよな気がするのですが...。日本では逆に、「役所や病院や商店のスタッフは、自分に対して礼儀正しく親切にしてくれるはずだ」という思い込みがある のではないかと思います。台湾に住んでいる者からすれば、知り合いでもないし、絶大な権力を持っているわけでもない人が1人でふらりと出かけていって、礼 儀正しく親切にされるはずだと思っているほうがおかしいということになりますけどね。
台湾と日本では、他者に対するスタンス、家族に対する要求が根本的に異なると、最近つくづく感じています。どちらが良いとか、進歩的であるということをこ こで論じるつもりはありませんし、論じても意味がないと思います。ただ、そういう社会の成り立ち方の違いをきちんと理解して、うまく対応できるようになり たいと思います。
そして、いつも思うのは、日本的な発想は、他の国では全く通用しないということです。普遍性という点では、台湾式の方が高い普遍性を有していると思います。
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