原文 神無ノ鳥 シーン回想 番外編 【振り仮名付き】 二
神無ノ鳥 シーン回想 番外編
二
青年は、神無山【かんなぎさん】に仕える【つかえる】『神無ノ鳥』【かんなぎのとり】の一人だった。いつから彼が『神無ノ鳥』であったのか、誰も知る者は無いし彼自身も知ろうとはしない。
他の数多【あまた】の『神無ノ鳥』がそうであるように、彼はただ黙々と【もくもくと】任務【にんむ】をこなすだけだった。
人の魂は神無山を経て【へて】彼岸【ひがん】へと送られ【おくられ】、しばらく経って【たって】からまた別のものへと生まれ変わる【うまれかわる】。
けれど『神無ノ鳥』が関わる【かかわる】のは、人が死ぬ瞬間【しゅんかん】だけ。その後もそれ以前も、人の生【しょう】に干渉【かんしょう】することはない。
あの娘も、たった一瞬【いっしゅん】だけすれ違うだけの存在【そんざい】のはずだった。
だが……
とある山―人の世;ふもとの村
人の世で、数年の刻が過ぎた頃。
青年はまた死する者【しするもの】の魂を導く【みちびく】為【ため】、とある村【むら】へと降り立った【おりたった】。いつものように任務をこなした帰り道、村人達【むらびとたち】の噂話【うわさばなし】をしているのを耳にする。
(村人一)「…今日は紗【うすぎぬ】の奴【やつ】、降りて来ねぇ【おりてこねぇ】だな」
(村人二)「あいつァ、山子【やまこ】の子だっつう話【はなし】だからなァ。人となるべく関わらねぇようにしてるんだべさ」
(村人一)「しかし【すかせー(俗)】、あれが居ねぇ【いねぇ】と村が静かだなァ…」
(村人二)「んな事言って、おめぇ、あれを便利【べんり】に使ってるだけだべよ」
(村人一)「…そりゃ、そういう節【ふし】が無ぇ【ねぇ】わけじゃねぇけどよ」
(村人一)「でももし紗が村の女だったら、とてもじゃねぇがあんな真似【まね】は出来ねぇだろうなぁ…」
紗とは、山に一人で住む【すむ】女らしい。
普段【ふだん】は噂話など気にも留めぬ【とめぬ】青年だったが、彼らの言葉のやりとりは心に引っ掛かった【ひっかかった】。
山や森に畏れ【おそれ】を抱く【だく】人間達の口に乗る【くちにのる。元:口にのぼる】、他愛【たあい】もない伝承【でんしょう】だったけれど。神無山と、人の世とを行き来する【ゆききする】毎日【まいにち】に倦んでいた【うんでいた・あぐんでいた】のか。それとも他の理由【りゆう】があったのかは、彼自身も分からないままだった。
…『山』というのが、かつてあの母親【ははおや】と出逢った【であった】場所だというのも関係していた【かんけいしていた】のかも知れない
夕刻【ゆうこく】。
鹿【しか】が通う【かよう】獣道を慣れた【なれた】足取り【あしどり】で歩く【あるく】娘が一人、あった。
手にした杖【つえ】で地面【ちめん】を撫でながら【なでながら】、慎重に【しんちょうに】一歩一歩【いっぽいっぽ】、歩み【あゆみ】を進めている【すすめている】。山菜【さんさい】でも取りに山に入った帰りなのかも知れない。
少女の杖が、足を止めた青年の爪先【つめさき】に当たった【あたった】。
(少女)「あっ……。す、すみません」
(青年)「………」
(少女)「……?あの、もし…?」
(青年)「…何だ」
(少女)「ああ、良かった!やはり気のせいではなかったのですね」
(青年)「?」
(少女)「ご返事【へんじ】が無かったので、物の怪【もののけ】の類【たぐい】かと思ってしまいました。物の怪は娘をさらうそうですから。もしさらわれてしまったらどうしようと、不安になってしまいましたよ」
(青年)「………」
確かに、人間でない事は間違い無いのだけど。
(少女)「聞き慣れぬ声でしたけれども、村の方ですか?」
(青年)「……いや」
返事をした後、青年ははたと気付く【きづく】。
青年の声を聞けたという事は、この娘はそう遠くない【とおくない】うちに死ぬという事だ。
(少女)「…先程【さきほど】のご無礼【ごぶれい】、お許し【おゆるし】ください。目が、見えませぬもので」
(青年)「………?」
少女の言葉を聞いて、青年は彼女の顔を覗き込む【のぞきこむ】。
(少女)「あの、何か【なにか】…?」
(青年)「…いや、何でもない【なんでもない】」
少女の顔をまじまじと見ても、あのときの赤ん坊【あかんぼう】だったのかどうか判断がつかない。
青年の目には人の顔が全て同じに見え、区別【くべつ】がつかぬからだ
(青年)「そなた、村の娘か?」
(少女)「いいえ。村に住んでいるわけではありません。この道をもう少し登ったところで寝起き【ねおき】しています。ですが一人だと何か不便【ふべん】なので、数日おきに村へ降ります。」
(青年)「山の中に、一人で?…何故【なぜ・なにゆえ】だ」
(少女)「さあ、何故でしょう?」
(青年)「…分からぬのに住んでおるのか」
(少女)「はい、分からぬのに住んでおります」
(青年)「………」
娘の能天気な受け答え【うけごたえ】に、青年はそれ以上質問する【しつもんする】気を削がれて【そがれて】しまう。
(青年)「村の男が、そなたの事を噂【うわさ】していたような気がする。そなたの名【な】は…」
(少女)「名は、紗【うすぎぬ】といいます」
なるほど。やはりこの娘が、山に暮らす【くらす】娘であったか。
(青年)「…このような村には相応しくない【ふさわしくない】、雅びた【みやびた】名だな」
(紗)「そうですか?…自分で名づけた訳ではありませんぬけれど。それでもやはり、名前を誉めて頂く【ほめていただく】というのは嬉しい【うれしい】ものですね」
(青年)「ふっ……」
青年は苦笑【くしょう】を洩らした【もらした】。
(青年)「…もう行け。早くせぬと日が暮れてしまうぞ」
(紗)「平気【へいき】です。私は、日が出てようといまいと関係ありませぬから」
少女の言葉には一点【いってん】の翳り【かげり】も無かった。
自ら【みずから】の境遇【きょうぐう】を憂う【うれう】ほどの学【がく】が無いだけなのか、それともわざと明るく振舞っている【ふるまっている】のか
(紗)「それでは、失礼します【しつれいします】。お武家さま【おぶけさま】」
(青年)「…気をつけて行け。それから、私は武家ではない。一体何故そう思ったのだ?」
(紗)「良い香【こう】の香り【かおり】がしたので、身分【みぶん】の高い方かと思ったのですが…違ったのですか?」
(青年)「………」
香りがしたとすれば、それはおそらく人の死の芳香【ほうこう】だ。数え切れぬ【かぞえきれぬ】ほどの魂を掴み、人がはかなくなる様を見つめてきた者の。
(紗)「あの……」
(青年)「何だ」
(紗)「…宜しければ【よろしければ】、お名前をお聞かせ願えますか【おきかせねがえますか】?」
(青年)「そんなものを訊いて【きいて】どうする?二度と会うことはあるまい」
(紗)「二度と会えなければ、名前を伺っては【うかがっては】いけないのですか?」
(青年)「……いや、そういう訳ではない」
(紗)「では、お聞かせください。今お考えになった【おかんがえになった】名で構いませぬ【かまいませぬ】から」
(青年)「………」
(紗)「それとも、どうしてもお教えいただけませんか【おおしえいただけませんか】?」
(青年)「……斑鳩【いかるが・いかる】」
(紗)「えっ?」
(斑鳩)「斑鳩。それが名だ」
(紗)「いかる様、ですか。良い名ですね」
(斑鳩)「…そなた、我が名【わがな】の意味【いみ】を理解【りかい】しておるのか?」
(紗)「えっ?えっと、あの……」
どうやら、意味を解さぬ【かいさぬ】まま世辞【せじ】で言っただけらしい。
(斑鳩)「では、私はもう行く。山を降りるならば、気をつけて行け」
(紗)「あ、有難うございあます【ありがとうございあます】。斑鳩さま」
深々と【ふかぶかと・しんしんと】頭を下げ【あたまをさげ】、紗は再び【ふたたび】杖で足元を探りながら【さぐりながら】獣道を歩いて行った。
(斑鳩)「……おかしな娘だ」
誰にともなく呟いた【呟いた】後、斑鳩は神無山へと戻る【もどる】事にした…。
出處:[すたじおみりす team L←→R] 神無ノ鳥