2019-04-13 23:05:19卡布圖閑

婦人、自分で信じなければならない

今日の夕方で私は外で晩御飯を取りました。

最初、美味しい餃子が食べたいので、後山埤の駅で出ました。

でも、あの店の客が多いですが、近くのビーガンのバイキングが決めたいと思います。
いろいろなビーガン料理があって、自分の好きな食べ物を取って、取られる量によって支払います。

一人で行くのように、他の人が隣に座ってくれて準備しまた。

後でお年寄りの夫婦が隣に座っていました。

あのおばさんは私の皿に見ていましたが、お爺さんと話しました。

”あの女の子がご米をたくさん食べる。”おばさんが話した。

お爺さんが黙れていました。

おばさんはペラペラて話していました。

私はおばさんはが何について話しているのか気にしなかった。

しかし、隣に座って、あの話していることを聞くのを避けるのは難しいです。

おばさんはお爺さんがボランティアの仕事に反対しています。

理由はお爺さんの体が悪いて、ボランティアの仕事をする必要はありません。

”悪いことがしなくて、それでいい。”おばさんが話した

私はあの言葉に同意しません。

人々が自分の幸せを気にするだければ料簡がせせこましいの人になる

そして、滅多に他人に感謝じゃない。

それは私が住みた社会ではありません。