【詩譯情箋】工藤直子詩作十首
(圖為童話屋《原野之歌I》(のはらうたI)的封面。工藤直子(1935-)將原野上的居民,即植物、動物、昆蟲等生物以及海、雲、風等大自然之物,一一擬人化取名,並站在他們的立場陳述各自的所思所想。昭和五十九年(1984)第一卷刊行以來,部分詩作被收入日本小學國語教科書,尤以螳螂龍二(かまきりりゅうじ)的〈我是螳螂〉(おれはかまきり)一詩最為人知。迄今,「原野之歌」系列出版共六卷(I至V及哇哈哈[わっはっは]),受到各年齡層讀者喜愛,長銷不墜)
【作者簡介】
工藤直子(1935-),當代詩人、童話作家。生於日治時期臺灣台南州東石郡朴子街(現在的嘉義縣朴子市),昭和二十年(1945)隨在臺灣擔任小學校長的父親返回日本。昭和三十四年(1959)御茶水女子大學畢業,進入廣告公司博報堂負責編寫文案。昭和三十八年(1963)離職後,積極創作詩和童話,詩作以兒童詩居多,兼具純真與溫柔情懷,昭和五十八年(1983)詩集《哲學的獅子》獲得日本兒童文學者協會新人獎。代表作除《哲學的獅子》外,另有《大海的朋友》、《草原的朋友》及「原野之歌」系列。
[地球]
地球
喜歡一身翠綠
尤其下雨過後
是剛洗好的襯衫
將生物如別針般
一一別上
地球顯得威風凜凜
翠綠
是你最華麗的盛裝呢
[地球は]
地球は
みどりを着るのが好き
とりわけ雨あがりは
洗いたてのシャツ
いきものを ブローチのように
くっつけて
地球 いばっている
みどりは
お前の 晴れ着だね
[懷抱]
風
懷抱著
各種物體
在風的懷抱下
鳥兒
在天空的搖籃裡嬉戲
在風的懷抱下
花兒
以葉片為枕入眠
啊,現在
風朝四面八方吹去
懷抱起地球了呢
[だっこ]
風は
いろんなものを
だっこする
風にだかれて
鳥は
空のゆりかごであそび
風にだかれて
花は
葉っぱをまくらにねむる
あ いま
風がひろがった
地球をだっこするのかな
[日記]
傍晚的海是太陽的日記本
以光芒為文字
把和雲、風相遇,和螃蟹、海鷗玩耍之事
記在海面上
海上飄浮的小島
都是標點符號
「應該沒有漏記的吧」
太陽再次照亮海面
然後啪的一聲闔上了「今天」這一頁
[日記]
ゆうがたの海は 太陽の日記帳です
雲や風と 出会ったことや
カニやカモメと 遊んだことを
光の文字で 海に書きます
海にうかぶ ちいさな島々は
あれは 句読点です
書きおとしはないかと
太陽は もういちど海を照らし
ぱたりと「今日」のページを閉じます
[小魚乾]
小魚乾
別哭泣
不要氣得直咬牙
小魚乾
別哭泣
鱗片隱隱作響
小魚乾
別哭泣
豎起背鰭來
小魚乾
小魚乾
微不足道的小魚乾
[ごまめ]
ごまめ
泣くな
歯ぎしりするな
ごまめ
泣くな
ウロコにひびく
ごまめ
泣くな
背びれをたてろ
ごまめ
ごまめ
ちびすけごまめ
[致大海 小河勇人]
我
總有一天一定會
給大海
搔搔癢
[うみへ おがわはやと]
ぼくは
いつか きっと
うみを
くすぐってやる
[我就是我 烏鴉英三]
我時常
隱隱約約地想
能有一身變色的羽毛多好
隱隱約約地想
能有一副好歌喉唱歌多好
但又想了想
這就是原本的我呀
放下了幻想
振翅向天空飛去
[ぼくは ぼく からすえいぞう]
ときどき ぼくは
ほんのすこし
いろつきのはねがほしいなと
おもったりする
ほんのすこし
いいこえでうたえたらなと
おもったりもする
でも
これがぼくだと
とんでいく
[好奇心 小豬花子]
我對任何事
都會深究
這就是「好奇心」吧
只要灑上點
「好奇心」
全世界
就變得好好吃
[こうきしん こぶたはなこ]
わたしは なににでも
はなを つっこみます
つまり「こうきしん」なのね
「こうきしん」を
パラパラっと ふりかけると
せかいじゅが
おいしくなります
[快過來 貓頭鷹源三]
寂寞的話快過來
我的耳朵
當你談話的對象
[おいで ふくろうげんぞう]
さびしくなったら おいで
わたしの みみが
はなしあいてに なろう
[痛苦]
「喜歡上一個人」
會把心都撕碎吧
難怪這麼痛苦
[痛い]
すきになる ということは
心を ちぎってあげるのか
だから こんなに痛いのか
[花]
我
無法脫離
我的人生
那麼就在這裡
種朵花吧
[花]
わたしは
わたしの人生から
出ていくことはできない
ならば ここに
花を植えよう
譯自:工藤直子,《工藤直子詩集》(東京:角川春樹事務所,2002),頁28、32、36、48、49、88、96、105、114、174、192。
圖片來源:http://www.dowa-ya.co.jp/books/poem/noharauta/noharauta1.html