2006-06-20 11:52:02rayi

小さな善意、小さなパン&#

  台風やハリケーン、洪水、大地震、大津波など、近年人びとが経験したくない出来事が地球上で立て続けに起きている。特に、人口が密集するアジアでは深刻だ。こうした災いによって、国際人道組織の協力が密接に行われる。先月下旬、インドネシアジャワ島の大地震後48時間以内に、栃木県那須塩原市のパン.アキモトは一千缶のパンの缶詰を被災地に寄付した。


  アキモトのパンの缶詰は国際緊急救援の最前線に以前から行っている。イラン地震、フィリピン洪水、新潟中越地震、インドネシア地震、さらに七年前の台湾大地震などの被災地へ、小さなパンの缶詰が送られた。そして、救援や医療スタッフの食料になった。フィリピンの洪水から一年余り経った今年三月には、一万四千缶を寄付した。

  いったい、パンの缶詰はどんな特徴があり、国際救援の最前線で役立つのか?パン.アキモトはどんな店で、NPOとNGOから必要とされるのか?

  災害が起きた最初の光景を思い出してみよう。ご飯や、歯磨き、お風呂は当然のことではなく、贅沢なことになる。物資は不十分で、衛生状態も良くない。もし食べ物があれば、幸運。質は求められないが、ずっと食べるとなると気が重くなる。被災地では美味しくて柔らかいパンを食べることは普通は想像できない。アキモトのパンの缶詰は固くて乾いた防災食品のイメージを変え、また無添加パンの保存期限が短いという常識を覆した。

  パンの缶詰は9種類の味があり、保存期限は1~3年、日本と台湾、アメリカ、中国で特許を取得した。ただ、いまは日本だけで販売して、日本以外では緊急支援の寄付や地方特産展に出されるだけ。例えば、三年前、香港の太古広場の展示で栃木県の特産として出品され、来月には台湾で沖縄特産品展で出される。それを食べた人はその柔らかさと香りが印象的で、登山用の食品として使う人もいる。

  それを発明したパン.アキモトはもともと地方の小さなパン屋さんに過ぎなかった。1995年、阪神大震災のとき、被災者を助けようと沢山のパンを運んで行った。当時は、関東地方の栃木から神戸まで2日間掛かり、被災者に届いたときは賞味期限がわずかしか残っていなかった。

  「被災者は私たちのパンは美味しいと言ってくれて、私たちも喜べました。しかし、カビを防止するなど保存問題が最大の課題となりました」、当時社長ではなかったパン.アキモトの現社長秋元義彦さんは発明の動機を語った。もちろん、パンの缶詰を発明するのは簡単ではなかった。何度も失敗を繰り返して成功まで一年掛かった。パンを焼きながら、缶詰をつくるのが保存に有効で、食べたあと缶はコップとして使用もできる。

  十年前、パンの缶詰を販売し始めたとき、あまり売れなかった。人びとは珍しがるけれども、買わなかった。試食会をやって皆から少しずつ評判になって、2、3年前、アメリカNASAの職員にパンの缶詰は宇宙食としても使えると認められた。2004年の秋、新潟中越地震のあと、アキモトもパンを被災地に運んだ。もちろん、今度はパンの缶詰でいろいろな人から注目を集めた。広告がなくても人気になり、各自治体や団体が防災用としてパンの缶詰を買った。

  新潟中越地震の年は約百万缶、そして去年は約二百二十万缶を販売し、今年も販売量は増えている。最近では、JR東京駅の自動販売機でも買うことができるようになった。急成長のために、去年は沖縄に工場を新設した。国際市場にも進出できるが、今は検討中だ。秋元社長は「私は栃木県出身なので、保守的かもしれない、海外に出ることに不安もある。それに会社を急激に大きくすることはあまりよくないので」と話す。

  今のところ、力を入れて取り組んでいるのはパンの缶詰の回収システム。パン.アキモトは三井物産などの団体の消費者と回収システムについて商談してます。回収システムとは、賞味期限を切る前、団体の消費者から低い値段でパンの缶詰を下取りし、それをNGOなどの組織に提供して貧しい人に寄付するということ。パンの缶詰は一缶三百円、消費者が一定の量を買うのはお金が掛かるし、賞味期限を迎えてしまって食べないのももったいので、回収システムがあればとても役立つと考えられる。

  「缶に表示する賞味期限は美味しく食べられる期限です。一般的な場合には、食べられる期限は賞味期限よりおよそ半年長い。ですから、この回収企画は食用の安全に心配ありません」、秋元さんはそう述べる。

  今年三月、フィリピンの洪水被害地の復旧チームは飲食条件を改善したいので、NGOに頼んでパン.アキモトにパンの缶詰を寄付して貰った。パンの缶詰で国際緊急援助がどんどん増えている。実は一缶を売るとパン.アキモトは一定のお金をNGOに寄付してアジアと中南米の緊急援助や飢饉などを救っている。

  なぜパン.アキモトは国際援助に熱心なの?秋元さんは「私の父親はキリスト教徒。戦後、常にアジア各国に対してごめんという気持ちがあって、何か役立つことをやりたかった。私もこの気持ちを受け継いで大学時代に宣教師とともにインドなどのアジア各国に尋ねた。貧しい人が沢山いて、助けることもいっぱいあるということを知って自分の幸せも感じた」と述べる。

  秋元義彦さんの父親秋元健二さんは戦争当時には、日本航空の通信士として失速墜落事故に遭って大怪我をした。その後、離職して帰郷し、パン屋さんを始めた。あの事故の現場で秋元健二さんは右の耳を失って自分の皮膚を火傷しても数名の乗客を助けたという奇跡を達成した。このような人を助ける気持ちこそが、パンの缶詰を発明した原点なんだろう。