2010-11-01 17:50:01雪子
不同的社會有不同的病
Irvin d. Yalomの『ショーペンハウアーの涙』が面白かったので、『Lying on the Couch:A Novel』(中国語版)を買って読み始めました。アマゾンでちょっと探しましたが、この本も日本語訳はないようです。
私は心理学専攻でもないし、精神科医でもないので、この領域のことはよくわかりませんが、これらの本の著者紹介を読むと、著者は実存主義療法(日本語では なんと言うのかな?まだ調べていません。)の大家で、『夜と霧』のフランクルと並び称されるほどらしいのです。フランクルの本は何年か前に夢中になり、大 学図書館で全集を借り、続けて何冊か読みましたが、彼の「意義療法」(日本語は?)や、彼と患者の対話から受ける感じと、この本の著者ヤーロムが小説の中 で描く治療者と患者の対話から受ける感じはまったく異なります。
以前、日本のアダルトビデオの台湾における消費のあり方について論文を書いたとき、Pamela Paulの『色情消費啟示錄』という本を読みました。この本でも、配偶者や本人がアダルトビデオにはまって通常の夫婦生活(セックスだけでなくコミュニ ケーション全般)に支障をきたし、心理治療を受ける様子が描かれていました。この本を読んだときも、そして、今回ヤーロムの本を読んでいても、アメリカの 心理治療文化にはなじむことができません。どこがどうなじめないのか、まだうまく説明できないのですが、こういうやり方を日本や台湾に直輸入した場合、う まくいくのかなあと疑問に思うのです。機会があったらぜひこういう治療を試してみたいと思っています。大学にもカウンセラーがいるので、いつか試してみよ うと思いつつ、まだ試したことがありません。
異文化といっても、フランクルやフロム、最近読んだクラインマンなどユダヤ人精神科医の著作はすんなりと理解できます。ヤーロムの小説の中で描かれている やりとりも面白いのですが、同時にグループカウンセリングで、成功した女性弁護士が「一時の気の迷いで、結婚直前に彼氏と一緒に行った旅行先で売春してし まった」と告白するようなことに、いったいどのような意味があるのだろう、と思うのです。もちろん人には言えなかった過去を吐き出すことですっきりしたり するのかもしれません。でも、こういうことに毎回1万円近く払って、何年も「治療」に通い続けるということに違和感をもつのです。しかも物語に出てくる多 くの人物は、社会的地位が高く、経済力のある人たちです。こんなところで高いお金を払って「実は売春してました」と告白したり、他人の似たような話を聞い ている時間があったら、もっとたくさん本を読んだり、身の回りの人たちとよりよい関係を築くために積極的な努力をしたらいいのに…と思ってしまうのです (それがうまくできないから治療に通っているのでしょうが)。
心理療法にはとても興味がありますが、アメリカの心理治療に関しては読めば読むほど?になります。いつか台湾の専門家と話す機会があったら、台湾ではどういうふうにこれを取り入れ、実践しているのか聞いてみたいと思います。
台湾にいると、日本に対しても台湾に対しても「この社会、病んでるよ」と思うことがたびたびありますが、台湾では無批判に賞賛されているアメリカ社会も、 ヤーロムの小説を読む限り、日本や台湾とはまた違った形で病んでいると思いました。先進国であろうとそうでなかろうと、どの社会も健全な部分と病んだ部分 をもちあわせているのでしょう。もちろん程度の差はありますが、どっちがいい、悪いという問題でもなさそうです。アメリカにはあまり行きたいとは思いませ んが、将来的には台湾や日本とまったく異なる文化を有する第三国で暮らしてみたいなあと思います。そうすることによって、もっと違った角度から台湾や日本 を眺めることができるようになると思うからです。これから生まれてくる息子にも、自分の育った社会を距離を置いて眺めることができるようになってほしいと 思います。
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