2010-10-17 19:37:51雪子

一切為了活下去



31週になり、おなかがますます大きくなってきたせいか、先週末に2日続けて外出したせいか、この1週間ほとんど横になってすごしていました。先週までは週の後半は授業の準備に集中できたのに、今週は日曜日の夜になってもまだ授業準備ができないありさまです。今学期は出産のため、明日が最後の授業で、基本的には受講者の発表を聞くことが中心なのですが、時間が余ると困るので、やっぱりなにかしら準備していかなければなりません。あせる気持ちはありますが、こうしてブログを書いているうちにまた眠気が襲ってきました。

このようにぐずぐずしながら1週間を過ごしてしまいましたが、ひとつだけうれしいことがありました。それは、アーサー・クラインマンの『道徳的力量』という本に出会えたことです。心理工坊が出版する本は面白いものが多いので、書店に行ったときには注意しているつもりでしたが、この本を手に取ったことはありませんでした。数日前、夫が以前精神科で訓練を受けたときに面倒を見てくれた精神科医が、アーサー・クラインマンの著作を2冊夫にプレゼントしてくれました。一日中横になっているのもつまらないので、夫に借りて読みました。

アーサー・クラインマンは大学では歴史を専攻し、その後精神科医になり、さらに人類学も学んだ研究者です。本人はユダヤ人、ユダヤ教徒で台北に来て民間医療の研究をしたことがあり、彼の妻は漢学者で新教徒のようです。

台湾に来て5年たちましたが、面白いなと思うのは、この5年間で読んだ本の中で特に共感したのは、どれもユダヤ人が書いたものだということです。フロム、フランクル、クラインマン…日本人では内田樹の文章をよく読みますが、彼はレヴィナスを師と仰いでいます。ここに挙げた人たちの作品は別に台湾にいなければ読めないといったものではありません。日本で暮らしていたときにも難なく出会えたはずです。でも、私は、自分が「外国人」になるまでこれらの本に夢中になることはありませんでした。

彼の本を読んで共感したのは、自分とまったく異なる文化的・社会的背景を有する「他者」と向かい合うときに、自分の既存の基準で相手が道徳的か否かを判断してはいけないと繰り返し、異なる例を挙げながら私たちに訴えているところです。異文化に暮らす「彼」の行為が一見非道徳的・異常に見えたとしても、「彼」が彼が置かれた社会的状況の中で生き延びるためには、その行為は合理的なものだったかもしれないのです。

このことは外国で暮らす者として、常に自分に言い聞かせてきたことだったので、似たような考えをもつ人に出会えてとてもうれしかったです。一見したところ「私と違う」と感じられ、しかも相手の行為や考え方に嫌悪感を覚える場合でも、気を取り直して、「日本社会ではこれは下品な行為に当たるけど、社会的条件のまったく異なる台湾社会においては、このような行為・考え方は、自分や自分の家族を生き延びさせるために必要なものなのではないか。」と考え直すことで、理解できるようになることも結構あります。もちろん「理解できる」と「賛同する」というのはまったく別物ですが、少なくとも、こういう発想を持ち続けることで、ちょっとした違いをもって他人を切り捨てたり、馬鹿にしたり、いらだったりすることをかなり防ぐことができます。ほかの人はどうかしりませんが、個人的にはこのような発想・態度は、外国にいても国内にいても役に立つと思っていますし、夫や生まれてくる子どもともぜひ共有したいと思っています。

疲れているのでまとまらない文章になりました。本当はもっと内容を紹介したいのですが、力尽きたので、また今度にします。



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