2010-09-23 13:27:00雪子

『街場のメディア論』と日本での子育て




内田樹のブログはここ数年来すべての文章を読んでいるので、よく売れているという『街場のメディア論』を日本から取り寄せて読んでみましたが、内容はほとんどブログで読んだことのあるものでした。ただ、この本の良いところは、最近のほかの本と違い、ブログの文章をそのまま掲載したのではなく、かなり手が入っているところです。1冊の本としてまとまりがあって、好感が持てました。

ここは妊娠・出産・育児関連のブログなので、この本を読んで考えたことの中から、育児に関するものを少しここにメモしておきたいと思います。

本書の中にある一流大学卒の男性が登場します。筆者は、彼が一流大学卒にもかかわらずあまりにも無知だったので驚いて、あなたは大学で一体何を勉強してきたのですかと聞くと、彼は胸を張って「何も」と答えたそうです。

日本の学校では同学年間における競争ばかり関心が集中するので、みなが勉強しなくなり、全体のレベルが下がれば、自分はちょっと勉強するだけで偏差値の高い大学に入れます。だから無意識のうちにお互い足を引っ張り合います。また、資本主義的な発想でいけば、最小の投資で最大の利益を得ることが良いことなので、「全く勉強せず、無知のままでも一流大学に合格、卒業できた」ということは、周囲の人の尊敬を得ることはあっても、恥じ入る必要はありません。

とまあ大体このようなことが書いてあったのですが、この部分を読んで、なぜ台湾の研究所に来て勉強するようになったとき、解放感があったのかその理由の一部が言葉で説明できるような気がしました。

大学を卒業して、自分で仕事に関連の研修会に参加したり、本を買って読むようになったときにも、中国語を勉強するようになったときにもある程度は似たような解放感がありました。「他人の目や冷やかしを気にせず、好きなだけ勉強できる」と感じたのです。中学高校大学では知的好奇心のようなものは隠さなければならないもの、それを前面に出すとからかわれたり、排斥されるものでした。バカだった私は、そういう周囲の目を気にして、勉強に全力投球することができませんでした。

社会人になって中国語の勉強を始めたときも、語学学校の同級生、会社の同僚、上司からよく嘲笑されました。「外語大卒でもないくせに」「今からやっても遅い」「語学は海外留学しないと身に付かない」「(頭が悪いくせに)勉強が本当にお好きなんですね」「(そんな娯楽にうつつをぬかしていないで)早く結婚して子ども生んだら」などなど、「もっと勉強したい私」は常に嘲笑の対象でした。

日本と比べると、台湾では「もっと勉強したい」と表明しても、日本にいたときのように嘲笑されることはありません。「本当に勉強が好きなんだね」といわれることもありますが、それは私をからかって言っているわけではないのが伝わってきます。男性でも女性でも、いくつになっても「もっといろいろ勉強したい」と表明することによって小ばかにされたり排斥されるということはありません。あくまでも個人の自由です。私と同室の先輩女性たちも、30代で子育てをしながら博士号取得のために勉強を続けています。育児や仕事をしながらの勉強なので、40歳初めでやっと学位を取得した先輩女性も二人います。彼女たちを「いい歳して」と嘲る人は少なくとも私の周りにはいません。

義務教育の教材や学校設備、教師の質などを台湾と日本で比べたら、個人的にはやっぱり日本のほうが良いと思います。しかし、日本の「隠れたカリキュラム」は、その良さを相殺して一部の子どもたちの知的好奇心を著しく損なっていると思います。少なくとも私は大学卒業まで損なわれ続けたと感じ、とても残念に思っています。

台湾の教育内容や教師にも不信感はありますが、周囲の若い友人を見ていると、教育内容や学校設備の不完全さは子どもを損なわないと感じます。男の子でも女の子でも勉強のしたい子、できる子は思い切り勉強してよい、足を引っ張られないことの方が、ずっと大切なのではないかと思うのです。

内田樹はブログの中で、神戸女学院大学の学生たちに「勉強しなさい」というのではなく、「君たち、もっと勉強していいんだよ」と言うと書いてありました。私もまさにこのとおりだと思いました。もし私が小中学生だったときにこう言ってくれる大人が一人でもいたら、私の学校生活はもっと違ったものになっただろうと思います。
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