2010-08-31 17:00:31雪子
人生を生き直す
まだ私が20代だったころ、あるNGOに勤めていたことがありました。そのNGOは大学教授、議員、官僚や銀行家のサロンのようでした。理事長は80代の某大学の名誉教授でした。
あるとき、書類を受け取るために理事長宅に伺いました。客間に通され、少しだけおしゃべりしました。理事長は唐突に「雪子さん、あなたは子どもを生みたい と思いますか?私は37歳で子どもを生みました。(理事長のご主人は彼女よりも7-8歳年下だったと思います。)子どもを生んで育てることは、人生をもう 一度生き直すことだと感じました。」という趣旨のお話をされました。
私はNGOの事務の仕事が好きではなかったし、理事長も私のことを好きではなかったと思います。私も理事長のことが大の苦手でした。でも、このときの短い会話はとても印象に残っています。
まだ20代だった私には、30代後半になって妊娠、出産、子育てをするということは、想像の範囲を超えるものでした。「そんな年になってもまだ妊娠したいと思う人がいるのか」「そんな年になっても妊娠できるのか」という程度の認識だったと思います。
まさか自分も理事長と同じように高齢出産をすることになるとは、当時は思ってもみませんでした。私の妊婦姿を見て、20代の人たちは、奇妙な生物を見るよ うな気持ちになるのかもしれないと思ったりします。幸い現在は外国暮らしなので、そのへんのプレッシャーはあまり感じることがありません。
まだ出産、育児は経験していませんが、妊娠したことによって、理事長が言った「もう一度生き直す」という感覚については、なんとなく分かるような気がします。
40数年前の高齢出産の方が、今よりも大変だったのではないかと思います。今になって、あのときの理事長の話が、私を力づけてくれています。
あるとき、書類を受け取るために理事長宅に伺いました。客間に通され、少しだけおしゃべりしました。理事長は唐突に「雪子さん、あなたは子どもを生みたい と思いますか?私は37歳で子どもを生みました。(理事長のご主人は彼女よりも7-8歳年下だったと思います。)子どもを生んで育てることは、人生をもう 一度生き直すことだと感じました。」という趣旨のお話をされました。
私はNGOの事務の仕事が好きではなかったし、理事長も私のことを好きではなかったと思います。私も理事長のことが大の苦手でした。でも、このときの短い会話はとても印象に残っています。
まだ20代だった私には、30代後半になって妊娠、出産、子育てをするということは、想像の範囲を超えるものでした。「そんな年になってもまだ妊娠したいと思う人がいるのか」「そんな年になっても妊娠できるのか」という程度の認識だったと思います。
まさか自分も理事長と同じように高齢出産をすることになるとは、当時は思ってもみませんでした。私の妊婦姿を見て、20代の人たちは、奇妙な生物を見るよ うな気持ちになるのかもしれないと思ったりします。幸い現在は外国暮らしなので、そのへんのプレッシャーはあまり感じることがありません。
まだ出産、育児は経験していませんが、妊娠したことによって、理事長が言った「もう一度生き直す」という感覚については、なんとなく分かるような気がします。
40数年前の高齢出産の方が、今よりも大変だったのではないかと思います。今になって、あのときの理事長の話が、私を力づけてくれています。
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