2010-07-05 15:46:01雪子
今来てくれてありがとう
高齢出産はリスクが高いとどんな資料を読んでも書かれています。それらの資料が示す数字をみると、とても不安になることがあります。安心を求めてさらに時間をかけてネットで資料を探すことで、余計に不安になったりもしています。このようなことは時間の無駄だし、悪循環だと頭では分かっているのですが、家にいてパソコンがネットにつながっている限り、なかなかその悪循環を断ち切ることが出来ません。引っ越してきたばかりで近所に個人的なことを相談できるような友人もほとんどいないのも、悪循環を断ち切ることをはばんでいると思います。
でも、そういう不安な気持ちとはうらはらに、胎児に対して、「20年前や10年前じゃなくて、今、私のところに来てくれて本当にありがとう」という気持ちもあります。中卒や大学在学中に妊娠、出産した友人、知人が私の周りにもいました。そのときは、「若くて綺麗なお母さんで良いなあ」と思いましたが、当時の私は今よりももっともっとおバカでした。だから、私の友人、知人のように立派に子どもと一緒に成長していくことが出来たか、というと自信がありません。(彼女たちは立派だったと思います。)
じゃあ、10年前の私だったらどうかな?20代の私は、自分ではいっぱしの批判精神を持っているように勘違いしていましたが、情けないことに無自覚なまま日本の「学校的な価値観」「資本主義的な価値観」にどっぷりとつかっていました。
どのように情けなかったかというと、たとえば、生活のありとあらゆる場面で、「効率第一」、「最少の投資で最大の利益を得る」ことだけを考えていたと思います。たとえば、学校では、「たくさん勉強して100点を取る人」よりも、「ほとんど勉強しないけど、要領よく100点を取る人」のことを偉いと思っていました。異性とのお付き合いでも、「初めて付き合った人と一日も早く結婚して、すぐに子どもを作る」ことが、一番効率がよく、「成功」であると考えていました。家事という無償労働の部分においては、「できるだけ正当な理由をみつけて、無償労働から解放される」ことが「良きこと」であり、それが自分の能力の証明になるとも考えていました。
当時の私は、「労働」とは「贈与」のことであり、人間関係とはお互いに贈与しあうことによって成り立っているということが理解できませんでした。私の生活を貫いていたのは、前段落のような、非常に幼稚な考え方だったのです。もし、こんな浅はかで、幼稚な考え方しかできない私の元へ、赤ちゃんがやってきたら、いったいどうなっていたのかな?と思います。たぶん、若い私は効率よく若いうちに赤ちゃんを産めたことに満足したでしょう(当たり前のことだと思ったかもしれません)。結婚することや子どもを産むことすら、仕事と同様に「自分の能力を証明するため」の手段にされたかもしれません。今は他人を目的ではなく、手段ととらえることがよくないということは、自分なりに理解しているつもりです。でも、当時の私はその是非を考えることなどなかったと思います。
もちろん、そんなおバカな私でも、子どもと一緒にそだった可能性がゼロではないでしょうが、上記のような価値観を反省するチャンスもなく親になってしまったら、子どもに悪影響を与えたかもしれません。
別に、今の私が立派になった、といいたいわけではありません。ネットで見ていると、高齢出産の女性は、立派な仕事をもち、経済的にも裕福な方が多いという印象を受けます。でも、私は特別なキャリアがありません。でも、20代のときと今で大きく異なるのは、常に「私が持っているものでおなかの中の子(または家族や友人)に何を贈ることができるかな?」と考えるようになったことです。私が分け与えることのできるものは、本当にとても限られているのですが、それでも、その限られた有形無形のものの中から、できるだけ良いものを子どもに分け与えたいと思うようになりました。若いうちに親になった方からは、いまさらそんなことに気づくなんて信じられないと思われそうですが、私にとっては、大きな変化でした。また、こういう気持ちをもって生活するようになってしばらくたってから妊娠したので、とても嬉しかったです。
いつ妊娠するか、いつ産むかというのは、自分でコントロールできるようで、やっぱり自分の意思だけではどうにもならないものだと思います。また、何をしたら妊娠できるか、どんな心持ちで生活すれば妊娠するか、そもそも生活態度が妊娠に影響するのか否か、いろいろな説はあるでしょうが、どれも絶対ではないと思います。私も、この文章で、私の経験を一般化しようとしているわけではありません。あくまでも、「私の場合たまたまこういうことになった」というだけのことです。
胎児に対しては、「もっとリスクの低いときにおなかの中においで、って言ってあげられなくてごめんね。」という思いと、「でも、大ばか者だった私が前よりちょっとマシになるまで、待っていてくれて本当にありがとう。長く待たせた分、大切にするからね。」という感謝の気持ちがあります。
まだやっと安定期に入ったばかりで、これからがやっと妊婦生活の本番ですが、おなかの中の子に感謝しつつ、一日一日を大切に過ごしたいと思うこのごろです。
でも、そういう不安な気持ちとはうらはらに、胎児に対して、「20年前や10年前じゃなくて、今、私のところに来てくれて本当にありがとう」という気持ちもあります。中卒や大学在学中に妊娠、出産した友人、知人が私の周りにもいました。そのときは、「若くて綺麗なお母さんで良いなあ」と思いましたが、当時の私は今よりももっともっとおバカでした。だから、私の友人、知人のように立派に子どもと一緒に成長していくことが出来たか、というと自信がありません。(彼女たちは立派だったと思います。)
じゃあ、10年前の私だったらどうかな?20代の私は、自分ではいっぱしの批判精神を持っているように勘違いしていましたが、情けないことに無自覚なまま日本の「学校的な価値観」「資本主義的な価値観」にどっぷりとつかっていました。
どのように情けなかったかというと、たとえば、生活のありとあらゆる場面で、「効率第一」、「最少の投資で最大の利益を得る」ことだけを考えていたと思います。たとえば、学校では、「たくさん勉強して100点を取る人」よりも、「ほとんど勉強しないけど、要領よく100点を取る人」のことを偉いと思っていました。異性とのお付き合いでも、「初めて付き合った人と一日も早く結婚して、すぐに子どもを作る」ことが、一番効率がよく、「成功」であると考えていました。家事という無償労働の部分においては、「できるだけ正当な理由をみつけて、無償労働から解放される」ことが「良きこと」であり、それが自分の能力の証明になるとも考えていました。
当時の私は、「労働」とは「贈与」のことであり、人間関係とはお互いに贈与しあうことによって成り立っているということが理解できませんでした。私の生活を貫いていたのは、前段落のような、非常に幼稚な考え方だったのです。もし、こんな浅はかで、幼稚な考え方しかできない私の元へ、赤ちゃんがやってきたら、いったいどうなっていたのかな?と思います。たぶん、若い私は効率よく若いうちに赤ちゃんを産めたことに満足したでしょう(当たり前のことだと思ったかもしれません)。結婚することや子どもを産むことすら、仕事と同様に「自分の能力を証明するため」の手段にされたかもしれません。今は他人を目的ではなく、手段ととらえることがよくないということは、自分なりに理解しているつもりです。でも、当時の私はその是非を考えることなどなかったと思います。
もちろん、そんなおバカな私でも、子どもと一緒にそだった可能性がゼロではないでしょうが、上記のような価値観を反省するチャンスもなく親になってしまったら、子どもに悪影響を与えたかもしれません。
別に、今の私が立派になった、といいたいわけではありません。ネットで見ていると、高齢出産の女性は、立派な仕事をもち、経済的にも裕福な方が多いという印象を受けます。でも、私は特別なキャリアがありません。でも、20代のときと今で大きく異なるのは、常に「私が持っているものでおなかの中の子(または家族や友人)に何を贈ることができるかな?」と考えるようになったことです。私が分け与えることのできるものは、本当にとても限られているのですが、それでも、その限られた有形無形のものの中から、できるだけ良いものを子どもに分け与えたいと思うようになりました。若いうちに親になった方からは、いまさらそんなことに気づくなんて信じられないと思われそうですが、私にとっては、大きな変化でした。また、こういう気持ちをもって生活するようになってしばらくたってから妊娠したので、とても嬉しかったです。
いつ妊娠するか、いつ産むかというのは、自分でコントロールできるようで、やっぱり自分の意思だけではどうにもならないものだと思います。また、何をしたら妊娠できるか、どんな心持ちで生活すれば妊娠するか、そもそも生活態度が妊娠に影響するのか否か、いろいろな説はあるでしょうが、どれも絶対ではないと思います。私も、この文章で、私の経験を一般化しようとしているわけではありません。あくまでも、「私の場合たまたまこういうことになった」というだけのことです。
胎児に対しては、「もっとリスクの低いときにおなかの中においで、って言ってあげられなくてごめんね。」という思いと、「でも、大ばか者だった私が前よりちょっとマシになるまで、待っていてくれて本当にありがとう。長く待たせた分、大切にするからね。」という感謝の気持ちがあります。
まだやっと安定期に入ったばかりで、これからがやっと妊婦生活の本番ですが、おなかの中の子に感謝しつつ、一日一日を大切に過ごしたいと思うこのごろです。
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