地方都市在住の専業主婦
上野千鶴子「女縁を生きた女たち」を読んで:
私は東京で暮らしていたときにNGOに勤めていたので、「女縁世代」の女性たちにお仕えした経験があります。彼女たちのような経済的に裕福な家に生まれ、自身も高学歴な女性たちからは、いろいろ学ぶことがあったのも確かです。でも、彼女たちの志、彼女たちの物言い、発想に心から共感したことはなかったです。どうしてそういう物言い、発想になるかということを理解できるということと、問題意識を共有するということは全く別物なのです。失礼を承知で言えば、あくまでも、現金収入と、十分な中国語学習時間を確保できるという前提があってこそ、おそろしくつまらない仕事に耐えられたのだと思います。
彼女たちにお仕えしていた数年間は、ああいった郊外中産階級の主婦たちみたいにならなくてはいけない、ああいう価値観を学ばなくてはいけないと思っていました。でも、結局彼女たちとも、その下の第一次ベビーブーム世代のエリート女性たちともちっとも(この世代の方がもっと)問題意識を共有することはできませんでした。
当時は、「彼女たちに共感できない」イコール「私自身の学歴が低いから」、「経済階層が低いから」と彼女たちも思っていたし、私もそういう扱いを受けて怒りを感じつつ、その価値観を共有していました。だからこそ、「もっと勉強してプロの通訳・翻訳者になって彼女たちを見返してやる」という気持ちになったのです。
今回、私のNGO時代の上司たちの世代と同世代の女性たちの生活実態、活動の様子を研究した「女縁を生きた女たち」を読んで、これまでの彼女たちにたいして感じていた尊敬と反発、違和感の原因が解明されたと感じました。
女縁とは、ある特定の世代―夫が終身雇用で安定した収入があり、しかも仕事が忙しく家のことに無関心で、完全性別分業夫婦であり、妻は家計を助けるために長時間労働する必要がなく、大都市郊外に居住し、中流であり―の女性たちに生まれたものです。この世代の専業主婦たちは家を出るのに、「子どものため」という大義名分を必要としていました。私はそういう大義名分を恥ずかしげもなく持ち出して大威張りで活動している中産階級主婦に違和感を持っていました。でも、「子どものため」に一生懸命になっている主婦に対して面と向かって批判できるような言葉を持っていなかった私は、その違和感を口に出すことはありませんでした。
上野千鶴子が「女縁は世代を超えない」と指摘していますが、20年前のこの指摘は、実際に彼女たちの下で働いた私の経験に照らしても正しいと思います。彼女たちを、知的で敬愛すべき存在とは認めても、彼女たちと同じやり方で彼女たちの事業を引き継いでいくことは、私には絶対できなかったと思います。彼女たちは、私の撤退を無責任と批判したでしょうし、たぶん連絡の途絶えた今でも、私に対しての怒りは変わらないでしょう。
私も彼女たちとの決裂の原因を、「私が無責任であるため」という個人的資質に帰していました。ですから、この本を読んで、私とあの団体との関係の変遷は、私の個人的経験というよりも、日本の1970-80年代に生まれた女縁の特性と密接な関係があるのだということが分かって、どんな小さな違和感、個人的な経験も、それを日本社会の状況のなかに位置づけてみることが大切だとあらためて思いました。そういう意味で、この本を読んで本当に良かったと思います。
もうひとつ、この本を読んで考えたことがあります。今までは、故郷に帰ってきて、同世代の主婦と話をするたびに心の中では「何で彼女たちはこんなにぼんやり過ごすことができるのだろう」と思っていました。話題といえば子どもの話ばかり。「大変なこと」といえば「PTAの役員や育成会の役員になること」。何十年も前から変わらない話題ばかり。彼女たちと日本の社会構造の劇的な変化は全く関係ないように見えるのです。安定した生活を送ることが出来るということは、子どもの成長にとっても大切なことだし、それはそれで結構なことだと思っていましたが、でも、話し相手としては退屈だなと思っていました。
でも、今回「女縁」を読んで、私の今までの考え方こそが間違っていると気づきました。私が地方都市や農村の主婦たちに違和感をもったのは、彼女たちのライフスタイルが東京郊外の中産階級主婦と異なること、メディアや学術書が描写するのは郊外住宅地の主婦ばかりだからだったのではないかと考えるようになったのです。地方都市の主婦は決して「ぼんやり」過ごしているわけではなくて、彼女たちには彼女たちの充実した生活があるにもかかわらず、それを私は見出すことが出来なかっただけなのです。そういう意味で、地方都市在住の主婦の生活実態は、郊外住宅地の主婦同様もっときちんと研究されても良いのではないかと思うようになりました。
台湾で暮らすようになってから折に触れて思うのは、「そこには何もない」と感じたとき、それは「見るべきものが存在しない」ということではなく、「自分にそこにある何かを見出す力がない」ということを示しているということです。逆に言えば、自分自身に豊かな教養が備わっていれば、大都会に暮らそうと、地方都市に暮らそうと、「見るべきもの」は必ず目の前に現れてくるのです。要は、自身の教養の問題なのです。
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