日本雑感(十)街的衰退
ここ数日、高崎駅周辺を何度か訪れました。ここ数年、高崎に帰るたびに「つまらない町になっちゃったなあ」とため息混じりにこの駅周辺の町並みを眺めていましたが、今日の午後、高崎駅でバスを待っていたとき、ふっと上を見上げて愕然としました。この10数年のうちに、いつのまにかこんなにひどい状態になっていたとは!
高崎駅周辺はビルが建っていますが、1枚目の写真にあるビルは上から下まで高利貸しばかりです。赤い色で囲った看板はすべて高利貸しです。上から「武富士」、「アイフル」、「武富士」、「レイク」、「アコム」その高利貸しビルの3階はカラオケ店、1階は「庄屋」という(おそらく)居酒屋チェーン店です。その左隣のビルも目立つ二つの看板は高利貸しの「ポケットバンク」と「プロミス」です。高利貸しの入っているフロアーの窓は、広告に覆われています。なぜ高利貸しやカラオケ店は窓が封鎖されてしまうのでしょうか。陽光の入らないフロアーで仕事をする人も、そこに訪れる人も不愉快な思いをするのではないかと思います。高利貸しビルの左隣、道路を隔てたところには、アパホテルというチェーン店があります。
駅ビルの真向かいのビルには、以前地下商店街があり、さまざまなレストランがありました。もちろん駅前がこのような空間構成になる前に比べたら、つまらない空間になってしまいましたが、それでもこの地下レストラン街があったときは、それなりに人も集まっていました。
十数年前、このビルの1階にはマクドナルド、2階にはJTBが入っていました。しかし、数年前から地下商店街は閉鎖され、地上階のマクドナルドもJTBも撤退しました。今このビルの1階にある看板は2つの証券会社のみです。
駅ビルの中はショッピングモールになっていますが、建物のほとんどは窓がなく、外部と内部の空間は分断されています。西口の正面1階にはマツモトキヨシなどドラッグストア、ローソンと交番があります。三十年ほど前まで、高崎駅西口はとてもにぎやかで華やかな場所でした。現在は人気は少なく、この駅前空間にとどまるのは、バス停でバスを待つ老人ばかりです(1枚目の写真の黄色で囲った部分)。
今日改めて、ここは一体いつからこんなに無味乾燥で、文化のかけらもない、無力感の瀰漫する空間になってしまったのかと考え込んでしまいました。近年はいつこの場所にいてもなんてつまらない場所になってしまったのだと思っていましたが、今日、1枚目の写真にある、この1棟のほとんどを高利貸しが占めているビルを発見して、私にぬぐいがたい無力感を感じさせているものの正体が分かったような気がしました。
市役所が運営しているバス「ぐるりん」に乗ると、環状線という幹線道路を通ります。こういう地方都市の環状線や国道沿線は、駅前の絶望的な景観をさらにひどくしたものが延々と続いています。両側にあるのは「ごく普通」の価格帯の、日本中どこにでもあるチェーン店ばかりです。このような空間に身をおいていると、「ここに住んでいる人は『文化的なもの』を求める気持ちはないのだろうか?それとも、これらのチェーン店に囲まれた生活を『便利で何でもある<文化的>な生活』と考えているのだろうか?」などと考え、暗い気持ちになってしまいました。
私は、地方都市には地方都市の「豊かさ」や「文化」があると思っています。少なくとも30年位前までは元城下町の賑わいや華やぎがありました。でも、30年後の今、幼少のころ私をわくわくさせた街は激変してしまいました。そしてこのような空間に身をおくと、私は強い無力感にとらわれます。この空間には、「この街を変えよう」とか、「私はこの街で何が出来るのか」とか、「ここで同じような感覚を共有できる人を探そう」などといった前向きな発想をすべて否定する強い力が働いているような感じがするのです。
村上春樹『1Q84』には、「無力感」という言葉が繰り返し出てきます。私は台湾でこの本を読みましたが、村上春樹のいう「無力感」を私も理解していると考えていました。しかし、今回、久しぶりに高崎に長期滞在して思ったのは、日本社会に瀰漫している無力感は、私の想像をはるかに超えているのかもしれないと思いはじめました。
東京など大都市に住んでいる人たちも、似たような無力感を抱いているのでしょうか?今すごく東京の街を一人で歩いてみたいと思う一方、足を踏み入れるのが怖いとも思うのです。
街の衰退、社会の高齢化という事実を受け入れ、より良い「衰退」や「老化」のあり方を積極的に求めていくことが必要だと、私はここのところずっと考えていました。しかし、今日、高崎駅前や郊外幹線道路沿線の絶望的な景観を眺めているうちに、「受け入れるべき『衰退/老化』と無批判に受け入れてはならない『衰退/老化』がある。」と強く感じました。街のメインの場所が窓を閉め切った高利貸しと証券会社と安っぽいチェーン店ばかり(だからといってルイ・ヴィトンなどに入ってきて欲しいわけではないですよ、販売しているものの値段が高ければ良いというわけではないのです。念のため。)に独占されてしまい、多様な人々が集うことが不可能になってしまうような「衰退」を私は受け入れることは出来ないのです。
私は日本が経済大国かどうか、経済成長するか否かなどということには関心がありません。そんなことは、私たちの生活が「豊か」か否かということと直接の関係がないと思うからです。でも、現在の高崎市街地や幹線道路沿線のような「貧しい」状況には脱力してしまいます。
私に何ができるのか、まだ分かりません。でも、父母はまだこの地で暮らしているわけですから、私もここで何ができるのか、今から考えていかなければならないと思いました。
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