2007-12-05 19:03:55雪子

聖誕節裝飾【後車站】

我平常幾乎沒有機會在後車站一帶走一走,有記憶的只有三、四年前在蒐集碩士論文資料時來過懷舊廣場那一次而已。那一次也很偶然地到那裡,那時候我在台北與懷舊風潮有關的事物,所以對那個廣場的名字有印象。但那一次對它的印象沒有很好,感覺很陌生、空曠、讓人害怕,當然對廣場後面還有什麼,我都沒有看見。

後來回日本後上網搜尋有關該廣場的資料才知道,原來那裡叫「後車站」,是外來移民到台北後首次到的地方,外地勞工先在那裡找工作。

上午跟有位媽媽聊天,她告訴我後車站那裡有聖誕節裝飾品的批發商,業者也會賣給一般客人。我聽到她的話時,無法馬上把聖誕節和後車站連結,令人歡樂的聖誕節跟令人害怕的後車站怎麼可能在同一個地方並存?我問她那裡會不會人很少,她說平日白天在那裡人不會很多也不會很少,可以慢慢地挑選購物。於是,我中午跟她說再見後,決定去看看。
我先坐捷運到台北車站,然後走台北地下街走到七號出口,從七號出口上來,就會看到很大的聖誕樹,旁邊還看到幾棟老房子。嗯~跟我想像得不一樣。後來在附近走一走,就看到了不少老房子。之前都不知道懷舊廣場後面還有這樣的街道。發現老房子,我就開心起來。

對外來者的我來說,「去得了只有當地人會去的地方」或「清楚地知道在哪一家店買得到自己要的東西」是給我很大的成就感,那種「融入『當地』生活」-我知道那只是假象-滿足我另類的虛榮感。

那麼逛百貨公司或大賣場買東西會有什麼樣的感覺呢?可惜它一點都不會給我類似的成就感,或許有人問我,好奇怪喔,在百貨公司購物不會讓妳確認自己有足夠的經濟能力,就讓妳爽快嗎?-答案是「不一定」。當然在那些地方找到自己真正喜歡的東西還是很高興,但這是那個物品本身(或者陪我去的朋友或好店員)給我帶來的快樂,而不是在百貨公司或大賣場那個空間給我的快感。

我在東京大部分的衣服都在百貨公司買,但我很清楚地知道,這不是我有品味才會這樣,相反的,因為我不知道自己真正喜歡的是什麼樣的衣服,也對判斷衣服品質的好壞沒有信心,也擔心我穿無品牌的衣服出門時人家如何看待我,我一直覺得在百貨公司買衣服象徵了我的無能和無勇氣。來台灣已經兩年多了,我依然處於無能和無勇氣狀態,很少在台灣買衣服,我希望以後可以打破我這方面的界限。

我後來走進懷舊廣場後面的六分埔,挑了幾個裝飾。好久好久沒有想要在家弄聖誕節裝飾的心情了。

以前住在東京,進入十一月整個商店街開始擺聖誕節裝飾品,不斷地播放聖誕節有關的音樂,用那種方式不斷地告訴我們:「聖誕節快到了,妳必須要買昂貴的禮物,必須要買高級蛋糕,必須要訂昂貴的餐廳用餐,否則的話妳很慘,妳不是很幸福的人...」,十幾年前剛開始住在東京時還好,不過這幾年來越來越討厭這個季節,商店街的過度裝飾、廣告讓我感到厭煩,最後連在街道看到一般住宅圍牆或門口掛的電飾也給我壓力。

當時的我排斥那些東京郊外住宅區的中產階級家庭看似都沒有質疑就乖乖再現媒體宣傳的「幸福家庭」的樣子,不知道為什麼,總覺得他們很虛假。同樣的理由,收到印全家福的賀年卡時,也心情很複雜,我真的會替他們高興他們的小孩越來越長大,他們一家人平安無事,我不喜歡的不是他們本身,而是那種有約束力的形式,那種賀年卡的形式似乎告訴我們,這樣做才是「幸福的家庭」,我每次看到很典型的那種賀年卡時會亂想,是不是他們真的很喜歡這麼做,還是他們透過這種方式向他人強調他們很幸福?我這麼想的同時責怪自己,這麼想是不是我只是忌妒他們而已?

反正對我來說,過去在東京每年到這個季節就覺得很煩。

冬天在台北也看到聖誕節的裝飾品,但過了二十五號也不用把它拿掉,好像可以一直擺到過年的樣子(東京不行,過了二十五號要馬上改過年的裝飾品),這樣比較彈性的氣氛不會讓我感到壓力,我想這也是突然有「我也想要弄聖誕節裝飾」的原因。

還有,搬家之後,新的家空間比宿舍更有「家」的感覺也有關係。我想很難得住在外面,想辦法把那個空間像個「家」也是理由之一吧。
<補充>
關於房子外面的電飾和全家福賀年卡,我最近在網路上看到了一個調查,每年在外面裝電飾的家庭跟沒有電飾的家庭比較起來,全家人一起過聖誕節的比率低,寄全家福賀年卡的家庭跟沒有寄全家福賀年卡的家庭比較起來,過年在家一起吃年菜的比率低。...所以,我在東京郊外住宅區聞到的「虛假」感,其實並不是我一個人亂想的。或許,真正很幸福的家庭根本不需要刻意對外強調他們的幸福,也不需要依靠現成的方式對外表達他們的幸福,真正幸福的家庭或人知道他們喜歡的模式。

<參考>
內田樹的研究室
2007.11.01
たまのオフなのに愚痴ばかり
http://blog.tatsuru.com/2007/11/

(中略)

電車で行き来したので、その間に車中で、岩村暢子さんの本『普通の家族がいちばん怖い』(新潮社、2007年)(アダチさんが送ってくれた)を読む。
岩村さんは「スティーブン・キングより怖い」とかの養老先生をして言わしめたほどに怖い本を書く人である。
『変わる家族変わる食卓』(2003年、勁草書房)は主婦数百人を対象に、「一日三食一週間分連続で、毎日の食卓に載ったものについて、使用食材の入手経路やメニュー決定理由、作り方、食べ方、食べた人、食べた時間などを日記と写真で記録してもらう」ものである。
これが怖い。
どう怖いかは実物を徴されたい。
体温が二度くらい下がる。
「ふつうのうち」でこんなものをこんなふうに食べていて日本社会がこの先続くのであろうかと不安になる。
この本の続きが『〈現代家族〉の誕生』(2005年、勁草書房)で、これはさきの調査で集められた主婦たちのメニューをその母親たち世代に見せて感想を聞いたものである。
「幼稚園の娘の朝食はカップ麺とプチトマト、前日はふりかけご飯と野菜ジュース。父は朝抜きで出社。母と息子はカップ麺。3人が食べたカップ麺の種類はばらばら、食べた時間もばらばら」「夕食は昨夜の残りとコンビニ弁当」「母と息子と娘の昼食は手作りカステラとカップ麺、残り物のブロッコリー、胡瓜の酢の物」などなどのメニューを見せられた60-70代の母たちは「こんなことをしているのは、ごく一部の人にちがいない」「これは子どものころからいい加減な食生活をしてきた特殊な人でしょう」といった反応を一様に示した。
「これはあなたの実の娘さんの作ったご飯です」と教えるとみなさん絶句されるそうである。
どうして娘たちがこんな悲惨な食生活をしているかというと、母親たちが彼女たちの娘に料理を教える必要を感じなかったからである。
母の世代からしてすでに「料理なんかどうでもいい」(それより学歴やキャリア形成が大事)がと思っていたのである。
食生活の崩壊は実は3世代がかりの「総力」をあげた努力の成果なのである。
これを「達成」といわずして何と言おうか(なんだか既視感のある言い回しであるが)。
これに似たことを三砂ちづるさんも『オニババ化する女たち』(光文社新書、2004年)の中で指摘していた。
出産育児についていまの30-40代の女性に普及している思想(妊娠出産を「不快な出来事」ととらえる発想)はその母親たちの世代から受け継いだものである。
「六十代、七十代の女性たちの多くは、自分たちのしてきた結婚や出産、そして夫との関係を、『楽しかった』と言いきれるようなものとは考えていないようなのです。『あんな結婚ならしなければよかった』『娘たちは出産を避けて通れるものならそうしてほしい』とさえ思っています。そしてそのような考え方は、現在の二十代から四十代の女性に見事に反映しているようです。」(29頁)
三砂さんが出産育児について指摘していることと、岩村さんが食生活について指摘していることはかなりの部分が重なり合う。
結婚、出産、育児、家事労働など、総じて家庭生活を成り立たせるために不可欠の諸活動は「アンペイド・ワーク(「父権制社会において男性に社会的リソースを占有させるために女性に強制された労働」)」にカテゴライズされるべきものであり、それゆえ女性たちはできる限りこの負荷を軽減し(理想的にはゼロにして)、一方できる限り多くの活動を「自己表現」「自己実現」に資するもの、できれば「有償」たらしめるべきであるというのが私たちの時代を支配している「男女共同参画社会」イデオロギーである。
別に誰に押しつけられたわけでもなく、私たちが嬉々として選びとってきたものである。
この食卓は日本人が総力を挙げて三世代にわたる努力の末に「達成」したものなのである。
クリスマスと正月料理に調査対象を絞った岩村さんの最近刊の本の中でいちばん怖かった話。
「クリスマスに家の窓やベランダにイリュミネーションを飾り立てる家」についての統計である。
「出した年賀状の枚数は電飾をする家(平均134.3枚)の方が電飾をしない家(平均113.3枚)より多くて、家族の写真入り年賀状を出す割合もやや高い。外へ向けて家族をアピールしたい気持ちがやはり強いということであろうか。だが、それよりも電飾をする家と電飾をしない家を比較すると、こんな違いが見えてきて興味深い。
クリスマス料理の種類も手作り率も、クリスマスケーキを手作りする率(電飾あり家庭6.1%、電飾なし家庭20.0%)も、電飾している家の方が低い。そして御節はほとんど全品目にわたって、電飾をしている家の方が手作り率が低く(例:「煮しめ」は、電飾あり家庭29.2%、電飾なし家庭60.8%)、御節の品目数自体少ないし、主婦が雑煮を作っている率も少ない。また自宅で家族で御節を食べている率(電飾あり家庭58.8%、電飾なし家庭70.9%)も低い。
さらに言えば、電飾している家では、親子一緒にクリスマスイベントに参加することも少なく(電飾あり家庭56.0%、電飾なし家庭82.4%)、親族と一緒にクリスマスの会食を楽しむ率も低く(電飾あり家庭4%、電飾なし家庭11.8%)、夫婦間でクリスマスにプレゼントし合う率も低い(電飾あり家庭8.8%、電飾なし家庭13.9%)。」(197-8頁)
まことに「興味深い」
岩村さんが指摘しているのは、外に向けて電飾をしてにぎやかにクリスマスを言祝いでいるかに見える家の方が、そうでない家よりも「家族一緒に」「仲良く」している率が低いということである。
私も「そうだろうな」と思う。
このような家の親たちの主たる関心は家族それ自身よりもむしろ、「この家族が外からどう見えるか」にあるからである。
「家族のひとりひとりの幸福や満足」よりも、「家庭が他人から見て幸福であるように見えること」が優先的に追求されている
それは「家庭の幸福」というものがもっぱら「社会的成功」の記号として機能しているということである。
そういう家ではおそらくすべての家族メンバーが「社会的成功の記号」として機能することを他のメンバーから期待されることになるだろう。
年収や学歴や特技など外形的・数値的なものしか記号的には役に立たない。
記号の条件は「誰が見てもすぐにそれとわかる」ということだからである。
「どこでも寝られる」とか「何でも食べられる」とか「誰ともすぐ友だちになれる」とか「相手の気持ちを配慮できる」というような資質は外形的には無徴候であるから、記号的には役に立たない。
だから、そのような能力の開発には現代の家族たちは誰も資源を投じない。
悲しい時代である。

雪子 2007-12-07 08:02:16

酸了 桑:

喔喔 我原來以為常常在火車站一帶(尤其是地下)迷路的只有我!

>因為那裡有很多人找人一起打網路遊戲

有次要在車站附近找網咖收email
我後來找到地下的網咖就進去
裡面都是看似男學生
他們用的電腦放大聲 他們本身也邊打邊大聲罵髒話
位子也很擁擠 坐在旁邊的男生很激動常常撞到我的位子
總之 那是我待不下去的空間 能夠待20分鐘已經很厲害了
我想 我跟他們的空間經驗和感受應該很不一樣喔!
很有趣

酸了 2007-12-06 18:32:37

雪子:
那篇狗狗的文章不見了
我只好回在這裡
很高興你喜歡我的文章和照片:)

我也很少去後車站一帶
因為以前去台北車站時經常迷路
久而久之對那個地方產生了恐懼感

不過畢竟每次回南部還是要到這裡坐車
十年下來心情也輕鬆多了
反正只要不趕時間
總會找到路的....只是要走很久:)

今年朋友告訴我
她表弟暑假時每天都會去台北車站前
(表弟之前在大陸和金門唸書 在台灣朋友不多)
因為那裡有很多人找人一起打網路遊戲
我覺得很有趣
對他們這一代大學生而言
相較於我們這些北上求學的南部人
台北車站這地方應該有很不同的意義吧