2007-06-06 08:53:38雪子
都市の復仇
據說六本木hills一帶本來是貧民窟,叫六本木hills美式資本主義的象徵解體了貧民聚落。我曾經去過那裡一次,我們在地鐵麻布十番車站下車,經過老商店街才能到六本木hills,我們本來的目的地就是六本木hills,但我倒比較喜歡它週邊還保留的老社區的氣氛,真正進去六本木hills,感覺沒怎麼樣,只是在那裡迷路一陣子,吃了連鎖中國餐廳的小龍包而已。
那時候我還沒有讀過跟空間有關的文獻,但還是有說不上來的怪怪的感覺。
旁邊的老社區有記憶、時間感,也有那個地方的特色,但相反的,六本木hills沒有時間感,無法感覺到它跟當地的歷史的連結性,也無法感覺到地方感。
昨天讀了如下文章,再確認,對那種徹底地標準化、商業化的空間感到不舒服的不只是我一個人。
我並沒有企圖完全否定那種地方的存在價值,去「本物じゃない場所」也是一種都市經驗,但如果我們居住的城市都變成像六本木hills或迪斯奈樂園的話,就很可怕。
以前的我以為,去那種地方也開心不起來是因為我是「鄉下人」的關係-雖然我住過十幾年的東京-,我「鄉下人」個性會使我在那裡感到不自在,而且對此感到羞愧。但後來來台灣唸書之後發現,其實有那種感受並不只是我是「鄉下人」的關係,是跟都市逐漸失去公共空間有關。自己無法認同主流媒體不斷宣傳的價值觀也不見得一切都是我的問題...。
還有,如果當妳/你去信義區的時候會有說不上來的怪怪的感覺,且無法盡情享受那消費空間的話,我推薦妳/你讀以下書,我看的是日譯,但它原文是英文的,大家一定比我看得快,可以學到更多東西。
ジェフ・フェレル「タワリング・インフェルノ」(『現代思想』特集=グラフティ)
原文:Jeff Ferrell, Crimes of Style: Urban Graffiti and the Politics of Criminality( Boston: Northeastern University press,1996)
「市職員やディベロッパーから見れば、その頃の操車場は、都市における空虚であり、見捨てられた不毛の地であり、汚く危険な場所であった。そしてその中でも最も汚く危険な場所、最も暗い空虚がタワリング・インフェルノであった。しかし、まさにそれは、市職員からずっと見放され、また都市開発のポリティカル・エコノミーの外部にあったので、それは十分に公共空間としての機能を果すものだった。インフェルノは本来、ストリートや歩道、電波、または前章で見てきたような空間のような意味では、「公共的」とはいえないが、それはまた、そうした空間をだんだん追い込んでいくような、排除の管理統制や商業化に左右されなかったため、そこには皮肉にも、有効な公共的な資源が残されたのである。すべての人々に開かれているインフェルノは、雨露を凌ぐ住まいであり、入場料もなく、エンターテイメント・ロケーション・エリアや連邦通信委員会の干渉もない、社会から追放された人々による、折衷的で多様なコミュニティであった。
インフェルノは、それをよく理解し、経験やアートを共有しながらそこにいるわれわれの仲間たちにとって、可能性の空間であり、そしてわれわれ自身の手によって作り出された文化的空間であった。」
「都市地理学者のニール・スミスによると、「都市の失地回復政策」とは、「公共空間を破壊する」ということであり、「都市が最も依存している存在である、失業者やホームレスの人々、人種的なまたはエスニックなマイノリティ、女性や移民、ゲイやレズビアン、労働者といった者たちに対する、冷酷で、洗練された、都市の復讐である」。つまりそれは、アイデンティティの特権をめぐる様々な境界線を守り、再構築することにかかわる。最初に見たように、例えばサミュエル・R・ディラニーは、このような視点から、ニューヨークのタイムズ・スクエアの失地回復政策、その文化的な浄化を説明している。つまりそこでは、市職員やディベロッパーは、多様なセクシャリティ、エスニシティ、階級からなるタイムズ・スクエアの住民を、同質なジェントリフィケーションのために、犯罪化し、最終的には締め出してしまった、ということである。ニューヨークに続いてデンバーでも、無一文の人々に対するそのような冷酷な復讐と、それと並行しておこなわれた操車場を再び特権化し、同質化していく動きは、よくあるやり方が組み合わされて始められた。つまり、タワリング・インフェルノやそのような建物に対して、土地を再区分し、道路を造成し、フェンスを立て、穴を埋めて、窓ガラスを張りなおす、といったやり方である。
しかし、タイムズ・スクエアがそうであったように、この失地回復政策の戦略は、物理的な修復以上のものが必要であった。つまり、それは文化的浄化、空間的浄化である。こうして、デンバーの当局は、まず浮浪者をタワリング・インフェルノや操車場から追い出し、サウス・プラット・リバー沿いにあった彼らが住んでいた古いテントを取り壊した。・・・」
「・・・そして、その特権的なフラワー・ミル・ロフトの上にある彼女の自宅、浮浪者やギャング、グラフティ・ライターを追い出したところに成り立つ都市の景観をはるかに見下ろすその家は、何よりも彼女がロフトに移り住んだ理由の最も重要な部分を物語っている。つまり彼女が「私が興味をもっていることは、多様性、そして平等を目指すということです」と述べている。」
「「街の人々がすることをする」という彼らの都市での生活は、入念な目論見によって、他の人々がかつてそこでしていたこと、それはジルやジャンやスコットがフラワー・ミル・ロフトを知るはるか前のことだが、を不可能にする。彼らのろくでもない、本当の「都市の経験」の追求―それは多分、都市の周縁を衛生化したものでさえあるのだが―、は、かつて周縁に住んでいた人々の経験を消し去るものであり、それによってロフトの住人たちは、彼らの会社くらい排他的な、部屋の片隅にある暖炉くらい胡散臭い都市の経験を享受するのである。そして、全てを消費するという彼らの特権は、実際に、都市の周縁の人々を排除し、その公共空間を破壊していく。」
那時候我還沒有讀過跟空間有關的文獻,但還是有說不上來的怪怪的感覺。
旁邊的老社區有記憶、時間感,也有那個地方的特色,但相反的,六本木hills沒有時間感,無法感覺到它跟當地的歷史的連結性,也無法感覺到地方感。
昨天讀了如下文章,再確認,對那種徹底地標準化、商業化的空間感到不舒服的不只是我一個人。
我並沒有企圖完全否定那種地方的存在價值,去「本物じゃない場所」也是一種都市經驗,但如果我們居住的城市都變成像六本木hills或迪斯奈樂園的話,就很可怕。
以前的我以為,去那種地方也開心不起來是因為我是「鄉下人」的關係-雖然我住過十幾年的東京-,我「鄉下人」個性會使我在那裡感到不自在,而且對此感到羞愧。但後來來台灣唸書之後發現,其實有那種感受並不只是我是「鄉下人」的關係,是跟都市逐漸失去公共空間有關。自己無法認同主流媒體不斷宣傳的價值觀也不見得一切都是我的問題...。
還有,如果當妳/你去信義區的時候會有說不上來的怪怪的感覺,且無法盡情享受那消費空間的話,我推薦妳/你讀以下書,我看的是日譯,但它原文是英文的,大家一定比我看得快,可以學到更多東西。
ジェフ・フェレル「タワリング・インフェルノ」(『現代思想』特集=グラフティ)
原文:Jeff Ferrell, Crimes of Style: Urban Graffiti and the Politics of Criminality( Boston: Northeastern University press,1996)
「市職員やディベロッパーから見れば、その頃の操車場は、都市における空虚であり、見捨てられた不毛の地であり、汚く危険な場所であった。そしてその中でも最も汚く危険な場所、最も暗い空虚がタワリング・インフェルノであった。しかし、まさにそれは、市職員からずっと見放され、また都市開発のポリティカル・エコノミーの外部にあったので、それは十分に公共空間としての機能を果すものだった。インフェルノは本来、ストリートや歩道、電波、または前章で見てきたような空間のような意味では、「公共的」とはいえないが、それはまた、そうした空間をだんだん追い込んでいくような、排除の管理統制や商業化に左右されなかったため、そこには皮肉にも、有効な公共的な資源が残されたのである。すべての人々に開かれているインフェルノは、雨露を凌ぐ住まいであり、入場料もなく、エンターテイメント・ロケーション・エリアや連邦通信委員会の干渉もない、社会から追放された人々による、折衷的で多様なコミュニティであった。
インフェルノは、それをよく理解し、経験やアートを共有しながらそこにいるわれわれの仲間たちにとって、可能性の空間であり、そしてわれわれ自身の手によって作り出された文化的空間であった。」
「都市地理学者のニール・スミスによると、「都市の失地回復政策」とは、「公共空間を破壊する」ということであり、「都市が最も依存している存在である、失業者やホームレスの人々、人種的なまたはエスニックなマイノリティ、女性や移民、ゲイやレズビアン、労働者といった者たちに対する、冷酷で、洗練された、都市の復讐である」。つまりそれは、アイデンティティの特権をめぐる様々な境界線を守り、再構築することにかかわる。最初に見たように、例えばサミュエル・R・ディラニーは、このような視点から、ニューヨークのタイムズ・スクエアの失地回復政策、その文化的な浄化を説明している。つまりそこでは、市職員やディベロッパーは、多様なセクシャリティ、エスニシティ、階級からなるタイムズ・スクエアの住民を、同質なジェントリフィケーションのために、犯罪化し、最終的には締め出してしまった、ということである。ニューヨークに続いてデンバーでも、無一文の人々に対するそのような冷酷な復讐と、それと並行しておこなわれた操車場を再び特権化し、同質化していく動きは、よくあるやり方が組み合わされて始められた。つまり、タワリング・インフェルノやそのような建物に対して、土地を再区分し、道路を造成し、フェンスを立て、穴を埋めて、窓ガラスを張りなおす、といったやり方である。
しかし、タイムズ・スクエアがそうであったように、この失地回復政策の戦略は、物理的な修復以上のものが必要であった。つまり、それは文化的浄化、空間的浄化である。こうして、デンバーの当局は、まず浮浪者をタワリング・インフェルノや操車場から追い出し、サウス・プラット・リバー沿いにあった彼らが住んでいた古いテントを取り壊した。・・・」
「・・・そして、その特権的なフラワー・ミル・ロフトの上にある彼女の自宅、浮浪者やギャング、グラフティ・ライターを追い出したところに成り立つ都市の景観をはるかに見下ろすその家は、何よりも彼女がロフトに移り住んだ理由の最も重要な部分を物語っている。つまり彼女が「私が興味をもっていることは、多様性、そして平等を目指すということです」と述べている。」
「「街の人々がすることをする」という彼らの都市での生活は、入念な目論見によって、他の人々がかつてそこでしていたこと、それはジルやジャンやスコットがフラワー・ミル・ロフトを知るはるか前のことだが、を不可能にする。彼らのろくでもない、本当の「都市の経験」の追求―それは多分、都市の周縁を衛生化したものでさえあるのだが―、は、かつて周縁に住んでいた人々の経験を消し去るものであり、それによってロフトの住人たちは、彼らの会社くらい排他的な、部屋の片隅にある暖炉くらい胡散臭い都市の経験を享受するのである。そして、全てを消費するという彼らの特権は、実際に、都市の周縁の人々を排除し、その公共空間を破壊していく。」
※圖片來源:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%9C%AC%E6%9C%A8%E3%83%92%E3%83%AB%E3%82%BA
<參考>
麻布十番商店街官方網站:
http://www.azabujuban.or.jp/juban/juban.html
→得知麻布十番商店街的歷史。
<參考>
麻布十番商店街官方網站:
http://www.azabujuban.or.jp/juban/juban.html
→得知麻布十番商店街的歷史。
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