生き残った清洲勢はたちまち城へと逃げ帰り
生き残った清洲勢はたちまち城へと逃げ帰り、信友や大膳共々、もはや耀きを失いつつある清洲城内に立て籠った。
これを見て勝利を確信した信長勢は
「殿!もはや清洲の輩に成す術はございませぬ!」
「有力な重臣たちは次々に討ち取られ、後は坂井の古だぬきめを残すばかり!」
「今すぐにも城攻めを開始し、一気に落としにかかりましょうぞ!」
「既に清洲城を我が軍に包囲させ、いつ何時でも攻め込めるよう支度を整えさせております故!」
大和守家に留めを刺すべく、皆口々に襲撃の命を下すよう信長に促した。
しかし信長は、熱のこもる家臣たちとは相反し 瘦小腿醫美
「いや待て──。ここで城攻めを致せば、我らは多くの手勢を失う事になるであろう。
それでは今川勢にも太刀打ちが出来ぬ。無闇に動くのは得策ではあるまい」
実に冷やかな表情でその細首を横に振った。
「いくら逆臣に成り下がった者とは申せ、ここで守護代を討ち取ったのでは、主家を討った清洲と同類になってしまう。
ここは慌てず騒がず、一旦様子を見、降伏致す機会を与えようではないか。大人しゅう城を明け渡せばそれで良し、拒みし時は……力づくで城を奪うまでじゃ」
信長の決意的な言葉に、一同は揃って不承知顔を並べた。
清洲がこの戦の最中(さなか)にも、尾張上四群の守護代・織田信安や守山城の織田信光などと手を結びはしまいかという懸念もあったからだ。
しかし信長の意はその後も変わることなく、城攻めは已む無く保留となったのである。
ところが清洲は、待てども暮らせども、降伏はおろか、城を明け渡す素振り一つ見せる事はなかった。
両者の決着がつかぬまま、尾張にはただ時ばかりが過ぎていったのである──。
美濃の斎藤道三が、稲葉山城主の座を嫡男・義龍に譲り渡したのは、まさにそんな頃のことであった。
「──すっかり秋めいて参ったのう。儂が清洲に気を取られている間に、いつの間にやら夏が通り過ぎてしもうたわ」
青々とした美しい秋空に、巻積雲(けんせきうん)が悠然と広がる、とある日の午後。
信長はその背に濃姫を伴って、那古屋城内の水辺に架かる太鼓橋の上を静かな足取りで進んでいた。
遠くに見える、ほんのりと葉が色づき始めた楓の木々を眺めながら
「そう申せば、義龍殿が家督を相続致した旨、伺ったぞ」
信長はふと思い出したように姫に告げた。
「前触れのなき親父殿のご隠居には驚かされたが、今思えば、いつかそなたが言っていた“近々起こる斎藤家の大事”とは、このことだったのじゃな?」
「御意にございます」
濃姫は伏し目がちに頷くと
「思うていたより遅うございましたが、とにもかくにも、今は兄が無事に斎藤家当主の座に治まりました事、心より嬉しゅう思うておりまする」
その白い顔に笑みを作りつつ、一度深く頭を下げた。
「……時に、殿」
「ん?」
「いつぞやは殿のお心も考えずに、無礼な態度を取ってしまい、まことに申し訳ございませぬ」
「はて、いったい何の話じゃ?」
「清洲の城に移り住みたいか否かを問われた時のことにございます」
信長は過去の記憶を呼び起こすように視線を暫し天に向けると、ややあって「ああ…」と相づちを打つように二、三度頷いた。
「この夏は清洲との戦にお忙しく、なかなか無礼を詫びる機会がございませなんだ故、歯痒く思うておりました」
「案ずるな。そのような些細なこと、もう忘れた」