2021-03-13 08:12:26寂寞道人殊一

【詩譯情箋】岡真史詩作十首

(圖為筑摩書房《新編 我12歲》封面。這部詩集收錄岡真史(1962-1975)小學六年級至中學一年級自殺前的詩作,昭和五十一年(1976)由筑摩書房以單行本形式出版,在日本掀起話題。隔年,作曲家高橋悠治(1938-)從中選出十首作品加以譜曲,發行歌曲集。昭和六十年(1985),筑摩書房改出新版的文庫本,除加入作者父母與讀者通信的內容,又請父親高史明(1932-)為文庫版撰寫解說,引領讀者更加貼近十二歲少年纖細敏銳的感性世界

 

 

【作者簡介】

 

岡真史(1962-1975),昭和時期的寫詩少年。東京都人。父親為作家高史明(1932-)。受父親影響,自幼廣泛涉獵東西方書籍。昭和五十年(1975)四月,進入東京都小平市立第一中學就讀。同年七月十七日傍晚,在住宅區跳樓自殺,得年十二歲,尋短動機至今不明。死後,作品由父母集結成詩集《我12歲》出版。

 

 

[]

 

白色寶石

不斷從天空落下

但我們

得到它也沒有用

那是……

馬上就會融化的東西

不會像天空一樣被珍惜

可是

為什麼天空

要給我們

叫做「雪」的寶石呢

 

[ユキ]

 

白い宝石を

どんどん空からおっことす

でもぼくたち

もらってもしょうがない

それは……

すぐにとかしてしまうもの

空のように大事にしない

なのになぜ

空はぼくたちに

ユキという

宝石をおっことすのかなあ

 

 

[黃昏]

 

黃昏

紅紅的

燃燒的太陽

讓雲朵和天空

都成了伙伴……

雲朵和天空

染成鮮紅一片

也是伙伴喔

你看

我全身紅通通的

 

[夕ぐれ]

 

夕ぐれ

赤い

もえたつ太ようが

くもも空も

みんな

仲間入りさせてる……

くもも空も

まっかにそまる

ぼくも

仲間だよね

ほら

全身まっ赤だよ

 

 

[]

 

凝神靜聽

春天的腳步聲響起

乘著綠色的微風

腳步聲由遠而近

到處都是

一身翠綠的

小伙子的呼喊聲

是啊……馬上就是春天了

 

[]

 

耳をすますと

春のあしおとがする

みどり色の風にのって

やってくるあしおと

早くも

みどりのわかしゅの

さけびごえでいっぱいだ

そう……もうすぐ春だ!

 

 

[]

 

今天又下雨了

想像著……

明天也會下雨吧

明天會怎樣

當然沒有人知道

所以

預測一下吧

明天

會放晴……

 

[]

 

きょうも雨だった

あしたも雨だろうか

そうぞうする……

あすはもちろん

だれにもわからない

だから

よそうをするのさ

アシタは

はれ……

 

 

[旅行前]

 

暢快奔馳的電車

翠綠的山和海

還有澄澈的天空

都是旅行前的想像

 

[りょこう前]

 

そうかいにはしる電車

青々とした山、海

すみきった空

りょこうそうぞう

 

 

[路上偶遇]

 

路上忽然

遇見她

無意間

遇見她

我倆

互不相識

走了過去

對我來說

卻是

天翻地覆的

大事

之後

那條路

走了無數次

卻再也

沒見過她

 

[道でバッタリ]

 

みちでバッタリ

出会ったョ

なにげなく

出会ったョ

そして両方とも

知らんかおで

とおりすぎたョ

でもぼくにとって

これは世の中が

ひっくりかえる

ことだョ

あれから

なんべんも

この道を歩いたョ

でももう一ども

会わなかったよ

 

 

[山茶花]

 

山茶花

每次一落下

大家總說「哎唷,好髒亂」

卻忘記了

最初的美麗

 

[つばき]

 

つばき

おちてしまうとみんなは

「ワアきたない」という

はじめの

美しさもわすれてしまって

 

 

[對不起]

 

一顆淚珠

相當於一滴雨水

誤會的淚珠

相當於雨後葉片上濺出的

一滴雨水

對不起這抹微笑

相當於雨後的彩虹

 

[ごめんなさい]

 

一つぶのなみだは

一てきの雨にあたいする

思いちがいのなみだは

雨上がりの葉からほとばしる

一てきの雨にあたいする

ごめんなさいというほほえみは

雨上がりのにじにあたいする

 

 

[自己]

 

只要人一多

自己就會發瘋

然後,人

會覺得

只有自己是瘋子

也就是說

大家

都覺得

自己是瘋子

 

[自分]

 

たくさん人がいると

自分がきちがいになる

そして人は

自分だけがきちがいと

思っている

つまり

みんなが自分のことを

きちがいと

思っているのだ

 

 

[我不會死]

 

或許死了

但我不能死

不,不會死

只有我

絕不會死

因為

就是我自己

 

[ぼくはしなない]

 

ぼくは

しぬかもしれない

でもぼくはしねない

いやしなないんだ

ぼくだけは

ぜったいにしなない

なぜならば

ぼくは

じぶんじしんだから

 

 

譯自:岡真史,《新編 ぼくは12歳》(東京:筑摩書房,1985),頁26、27、、、、83、109、110

 

圖片來源:https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480020291/