2010-06-27 09:24:55雪子

小児科救急医療

 

昨日NHKのニュースで、夜間の小児科救急を利用する患者の9割が軽症であり、それら軽症患者に対応するせいで、重症患者への対応が遅れたり、夜勤の小児科医がほとんど休息の取れない状態が続き、小児科医不足につながっているという報道がありました。このような状況を打開するために、新宿区では、小さな子どもを持つ親に対して、子どもの症状をどうやって見極めたらよいかを書いた冊子を配布するようになりました。

『たまごクラブ』を読んでいると、幸せいっぱいの妊婦+イクメンばかりが登場するので、孤立する母親の存在なんて私の気のせいだったのかも、と思いましたが、こういうニュースを聞くと、子どもの体調が変化したときにそばにいて手助けやアドバイスをしてくれる経験豊富な大人がいない人が多いのかな、と思ってしまいます。『たまごクラブ』にしろ、NHKニュースにしろ、メディアが作り出すイメージとは製作者の意図を反映したものにすぎませんから、まあ、どっちもどっちなのかもしれません。でも、私の東京郊外での生活経験と照らしてみると、後者のほうが私の生活実感に近いかな、と思います。体調がおかしくても周囲の誰にも相談できず、たとえ周囲の人に体調不良を訴えても「じゃあ、医者に行ってこいよ」と言われるだけの日々でした。私は、私の周囲の人々が特別冷淡だったと告発したいわけではありません。当時の私も「何かあったら専門家に任せればよい、素人の私がおせっかいを焼いてもしかたないでしょ」と思っていましたから。私はそういうあり方が好きじゃないと分かったのは、日本を離れて数年経ってからのことでした。

今回、このニュースを聞いて、「じゃあ、医者に行ってこいよ」的な人間関係は、私たちの孤立感を深めたり、治療が遅れるといった個人的な問題を生じさせるだけでなく、お互いを助け合えないような人間関係のもとでは、公的機関など既存の制度に頼らざるをえなくなり、その結果、公的機関―たとえば病院など―で働いている人の負担を増大させ、制度そのものも疲弊していくのかもしれません。「自己責任」ではなく、経験豊かな人が新米ママやパパを手助けできるような関係が必要なのでしょう。

こういうふうにかくと、なんだか決まり文句ばかりならべる嫌なやつのようですが、私が考えているのは「行政による子育て支援サービスの充実」といったものではありません。よりよいシステムを追求することも必要ですが、そういう発想では絶対に解決できないことがあると思うのです。自己責任でもなく、完璧なシステム構築に血道をあげるのでもない、もっと別の発想が私たちに求められているような気がするのです。それは、たとえば、べてるの家で実践されているような、問題が起こったときに他責的な文型で語らない、必ず自分を主語にして語るということともつながっていると思います。家族や友人が私たちに体調の悪さを訴えたときに、「医者行ってこいよ」と一言で済ませるのではなく、今ここで自分は彼・彼女に何をしてあげられるかを考えることが必要だと今の私は考えています。

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